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鳳凰三連/三木稔選集IV
MINORU MIKI SELECTED WORKS IV/EURASIAN TRILOGY

【2枚組CD】3,000円
カメラータ・トウキョウ 15CM-223

Disc-1 [30CM-223]
1. 序の曲 [16:32]
2. 破の曲 [27:27]
Total time 44:07

三橋貴風(尺八) 1
吉村七重(20絃筝) 1
田中悠美子(三味線) 1
若杉弘指揮 1
東京都交響楽団 1
野坂恵子(20絃筝) 2
山岡重信指揮 2
東京フィルハーモニー交響楽団 2
Disc-1 [30CM-223]
急の曲
1. Introduction:Allegro molto [5:58]
2. I.Allegro Molto [5:29]
3. II.Adagio [12:00]
4. III.Scherzando [3:00]
5. IV.Lento-Presto [8:54]
Total time 35:28

クルト・マズア指揮
ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団
日本音楽集団
録音:1991年3月28日/サントリーホール(ライブ録音)1
   1979年4月27日/入間市市民会館 2
録音:1981年11月12-13日/新ゲヴァントハウス大ホール(ライブ録音)

《急の曲 Symphony for Two Worlds》について
1999年1月25日、サントリーホールにおける東京都交響楽団
定期演奏会プログラム原稿より紹介

《急の曲》世界初演
 この交響曲は、ゲヴァントハウス管弦楽団命名200周年と新ゲヴァントハウス開場記念を兼ねて委嘱を受け、1981年11月12日と13日に、クルト・マズア指揮、日本音楽集団とゲヴァントハウス管弦楽団によって世界初演された。
 《急の曲》を“Symphony for Two Worlds” と副題したわけは二つある。東洋に位置する日本の伝統的な楽器群で形成する音楽の世界と、西洋の民族楽器が統一成長したオーケストラの世界が、互いに協調して響き合うsymphony というのが第1の理由。もう一つは作曲当時世界を東西に二分していた政治体制が平和裏に解消されるよう、syn すなわち統合の日を願望したからであった。1984年にはベルリンのシャウシュピールハウス改装開場記念に演奏され、願望は熱望に変わったが、その5年後ベルリンの壁崩壊によって劇的に成就した。
 交響曲である《急の曲》は、全曲で約36分を要し、四つの楽章を持っているが、冒頭に各章の要素を要約しつつ全体を展望する約5分の introduction を置いた。冒頭から第一楽章の終わりまでは《急の曲》に相応しくallegroで通し、第二楽章は間も生かした極めて緩やかな対峙。アタッカで続く第三楽章では再び急となり、スケルツァンドな表情の中に、誰もが認識できる私の慣用リズムも現れる。第四楽章は東西の意識を超えて、まさにまっしぐらに共存に驀進する。
 全曲に統一感を付与するため、常に移調されつつではあるがb・a・c・h・d・e・es・gという音列と、それぞれの音に付属する和音体系を設定した。前半はライプチッヒゆかりのbach, 後半は私が日本的と考える音程関係によっている。尚、後にオペラ《じょうるり》や《ワカヒメ》では登場人物のアイデンティファイにこの技法を有効に適用し「IDセリ―」と名づけた。
 日本の楽器として、篠笛・能管、長短の尺八、琵琶、三味線細棹・太棹、二十絃筝、十七絃低音筝、各種打楽器、計16名が登場する。それら個々または群は、時にオーケストラの楽器個々または群と、対立、または市場でのように並立しつつ協奏し、真の交響、すなわち全ての楽器が融け合って一つの目標に邁進する構図を図った。その成就を聞いていただければ嬉しい。
 尚この交響曲は、編成上の困難にも拘わらず、すでに国内11回・海外15回の演奏暦を持ち、1994年にはマズア指揮ニューヨーク・フィルハーモニックと日本音楽集団で米初演された。今回は27回目の上演であり、日本楽器部門は初めてジャパン・アンサンブルが担当する。
 私には、尺八・二十絃筝・太棹三味線と弦楽合奏による《序の曲》(1969)と、二十絃筝と二管編成オーケストラの協奏曲である《破の曲》(1974)があり、次ぎの《急の曲》を日本楽器群と三管編成オーケストラによる交響曲にするプランはずっと持っていた。その完成で序・破・急合わせた《鳳凰三連 Eurasian Trilogy》が13年にして完結したことになる。カメラ―タ・トウキヨウの二枚組CDは《鳳凰三連》として発売されているが、《急の曲》はライプチッヒにおける世界初演のライヴ録音を用いており、さまざまな意味で歴史的な結果となったその模様を窺い知ることができる。
 この作品は、現実にドイツ統一に強い意思で献身された委嘱者クルト・マズア夫妻に献呈した。マズア氏だけでも独日米で14回の演奏を指揮している。

《急の曲 Symphony for Two Worlds》新聞評

ニューヨーク・タイムズ評(1994年10月8日 ジェームズ・オストライク)日本語抄訳:
かつてリムスキーコルサコフは『管弦楽法』を書いた。しかし三木稔と聞き比べた時、リムスキーは憶病者に思える。日本のものであれ西洋のものであれ、殆ど全ての楽器が、全曲中どこかで素晴らしさを発揮できるように作品ができている。だが、この作品が最高の歓喜にわれわれを導くところは、新たな精巧さで仕掛けられたすべての楽器が、同時に響き合いながら、あらゆる方向に火花を散らしつつ、驀進する時だ。三木氏の、東西を象徴する二つのテーマ音型の巧みな変容は、全曲にわたる統合を保証している。三木氏が成し遂げた異文化交配は、現在の聴衆に「未知への遭遇」を今、もたらしたのである。

ニューヨーク・タイムズ評(1994年10月8日 ジェームズ・オストライク)日本語全訳:
ニコライ・リムスキーコルサコフは管弦楽法の本を書いている。しかし日本の作曲家三木稔と聞き比べた時、リムスキーはけちん坊(または憶病者=米俗語piker)に思えた。木曜の夜、エヴェリー・フィッシャー・ホールのニューヨーク・フィルハーモニックの演奏会のことだ。クルト・マズアは、西洋のフル・オーケストラと16人の日本楽器のアンサンブルを結び合わせた三木稔の《二つの世界のための交響曲(急の曲)》をニューヨーク・フィルに導きいれた。ちなみに日本音楽集団は1964年に三木氏によって創立されている。
1981年、マズアのもう一つのオーケストラであるライプチッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の二百年記念に委嘱されたこの交響曲で、三木氏は厳格に西洋の交響曲の伝統を踏まえて東西の橋を架けようとした。とはいうものの、より多数で、より滑らかな西洋楽器群が、三木氏によって精緻に書き込まれたスコアの中で、まことに素晴らしく機能しているのに対して、より少数で古い日本楽器群は、結局は少々色を添えるに過ぎないかもしれないのに、(彼は)正面から立ち向かわせるようにした。
しかし、彼らは多くの色を加えた。そして三木氏は用心深くその手法を開発した。例えば、しゃがれた音色を持った、リコーダーのような尺八の長いメロディーに、囀るような西洋のフルート(の音型)を対置するといった組み合わせもよく使われている。だが稀な組み合わせもある。例えば、筝のデリケートな撥く音がブラスと併置される効果は、プロコフィエフの《ロミオとジュリエット》に滑稽なマンドリンとトランペットの先例があるにしても、めざましく独創的である。
日本のものであれ西洋のものであれ、殆ど全ての楽器が、全曲中どこかで素晴らしさを発揮できるようになっている。だが、この作品が最高の歓喜にわれわれを導くところは、新たな精巧さで仕掛けられたすべての楽器が、同時に響き合いながら、あらゆる方向に火花を散らしつつ、驀進する時だ。三木氏の、東西を象徴する二つのテーマ音型の巧みな変容は、全曲にわたる統合を保証しているのである。
 中略(この公演で併演された《シェヘラザーデ》について)
デイヴィッド・ライトがプログラム・ノートで適切に述べているように、《シェヘラザーデ》のしなやかなオリエンタリズムは、三木氏の異文化交配が今成し遂げているのと同様な「未知への遭遇」をかつての聴衆にもたらした。
 中略(《シェヘラザーデ》の演奏について)
三木氏は、コンサート前の日本音楽集団団員たちによる日本楽器の簡単な紹介を司会した。それぞれの曲の断片を聞かせてくれて有用であったが、聞き手としては、これら素晴らしく熟達した演奏家たちの一人、あるいは何人かの、より完全な音楽的ステイトメントを求めたくなってしまう。特に田原順子の琵琶(シタールのような響きのするリュート)の感動的な中世物語の詠唱を伴った演奏は、もっと長くやられるべきだった。
《二つの世界のための交響曲》は、エヴェリー・フィッシャー・ホールのニューヨーク・フィルの青少年コンサートで今日の午後に部分演奏された上、夜には全曲が3度目の上演をされる。日本音楽集団は明日、コロンビア大学のミラー劇場で、より多くの三木作品を演奏する。


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