セントルイス・オペラ劇場監督 コリン・グレアム 75年の生涯

New York Times 2007年4月9日朝刊より

 セントルイス・オペラ劇場芸術監督のコリン・グレアムが金曜日(2007年4月6日)、セントルイスに近いミズーリー州クリ−ブ・コールで亡くなった。 75歳だった。
 死因は呼吸器と心臓の停止だとオペラ劇場は発表している。
 グレアム氏がセントルイスで新たに演出したオペラは48作品にのぼり、ブリテンの「グロリアーナ」、「ビリー・バッド」や「ポール・バンヤン」、パーセルの「アーサー王」、ロッシーニの「Viaggio a Reims」 の米国初演、バーンスタインの「キャンディード」の最終版を含む。
 彼が演出を担当するデビッド・カールソンの「アンナ・カレーニナ」は台本も彼が書いたものだが、4月28日、マイアミのフロリダ・グランド・オペラにて初演、さらに6月にはセントルイスで上演されるーこれはグレアム氏の57作目の初演作品になる。 氏が演出した主な初演作品は他に、三木 稔の「源氏物語」(セントルイス・オペラ劇場)、ジョン・コリグリアーノの「ヴェルヤールの幽霊」(メトロポリタン・オペラ)、 ブライト・シェンの「毛夫人」(サンタフェ・オペラ) そしてアンドレ・プレヴィンの「欲望という名の列車」(サンフランシスコ・オペラ)がある。
 台本作家として多作だったグレアム氏は、演出するオペラの台本も自ら執筆することが多く、 ブリテン、 アンドレ・プレヴィン、 スティーブン・ポーラス、 リチャード・ロドニー・ベネット、 ブライト・シェン、 三木 稔 などの作品がある。
 グレアム氏はロンドンで生まれ、1951年王立演劇学校(the Royal Academy of Dramatic Art) で学ぶ。 王立オペラ劇場(the Royal Opera House) の舞台監督助手になる前は、俳優としてスタートし、 オペラ歌手を目指していた。 1953年イングリッシュ・オペラ・グループ(the English Opera Group) へ移ってからブリテンとの長年にわたる共同作業が始まる。
 氏はブリテンのほとんど全ての舞台作品を演出。 「ノアの洪水」、「カーリュム・リヴァー」、「the Burning Fiery Furnace」、「放蕩息子」等の初演に携わった。 BBCテレビで「オーウェン・ウィングレーブ」を演出した後、この作品によって1974年にサンタフェ・オペラで米国デビューを果たす。 メトロポリタン・オペラとロイヤル・オペラで氏が手がけた「ヴェニスに死す」はロンドンのオリヴィエ賞にノミネートされた。 バーナード・ホランドは1994年にニューヨーク・タイムズ紙で、「警句を含んだ優雅な舞台」であり、「迅速で容赦のない」演出であったと評した。
 日本の演劇への造詣も深く、 三木 稔の歌舞伎オペラ「あだ」を始め、 「じょうるり」、「源氏物語」 を委嘱、演出した。
 セントルイス・オペラ劇場では、 1978年より演出部長を務め、1985年に芸術監督に就任。 さらに、オールドバラ・フェスティバルやサドラーズ・ウェルズ・オペラ、 現在はイングリッシュ・ナショナル・オペラでも重要なポジションに就いていた。
 米国市民権を持つグレアム氏は2001年に、英国と米国のオペラ界への貢献に対し大英帝国勲章を受勲。 その表彰状には、氏が1972年にサドラーズ・ウェルズで上演したプロコフィエフの「戦争と平和」があげられていた。
 ウェブスター大学及びミズーリー大学からは名誉博士号を授与されている。 熱心な先生で、指導者であった彼は生前、オペラ歌手のためのトレーニング手引書を執筆中だった。 競技ボディビルやオートバイなどの趣味も持っていた。 肉親遺族はなし。

ヴィヴィエン・シュヴァイツァー

(中見だし)ブリテンのエキスパートであり、数多くの作品を初演。
(写真下)コリン・グレアム、右。2003年作曲家ブライト・シェンと。


三木 稔