8月22日から26日までの5日間に10公演が行われた八ヶ岳「北杜国際音楽祭(HIMF)」2007には三千人超の来聴者があった。その生の感想やアンケート、東京紙のコラムでの報道を見ても、確実に聴衆の心に深い印象を残したと思われる。昨年は貧しい一作曲家の無謀な夢の実現で、芸術振興基金の助成や細かい協賛を加えても3日5公演が精一杯だったが、今年規模を倍増できたのは、私が小淵沢に仕事場を構えた1998年と奇しくも同じ年、自然との共生を求めて東京から全社員を引き連れ、小淵沢に本社を構えた大手化粧品会社アルソアの滝口友樹哉社長ご夫妻のバックアップを得られたからだ。昨年の音楽祭で、この音楽祭の目指す方向とシズカ楊静の演奏に感動されたご夫妻は、私への協力を確約され、自社に留まらず地域に奉仕するNPO「八ヶ岳自然村」を設立し、その主催(白倉政司北杜市長のご好意で市が各施設等を提供して共催)で音楽祭の運営をする体制を打ちたて、私は芸術監督に専念できることになった。
しかも小淵沢の「道の駅」近く、赤松の森に囲まれた緩やかな芝生の傾斜地に「アルソア野外劇場」が新設され、まだ不備な点もあったが、そこでの4公演は特別な感興を齎した。初日テープカットの後、この音楽祭の音楽監督でスイスから招聘した中国琵琶シズカ楊静の音楽祭開幕への献呈曲で始まり、アメリカから招聘のパルサス打楽器トリオ(クリストファー・ディーン、ジョン・レイン、ネイサン・ラトリフ)の演奏が始まった後、間歇的な小雨に逢ったが、トリオの熱い演奏のせいか途中で席を立つ人はおらず、最後の《マリンバ・スピリチュアル》のあと全員のスタンディング・オヴェイションという幸せなスタートが切れた。
2日目の夜は「東西オペラアリア・コンサート」という、世界でかつて例のない歌合戦に、大島洋子・宇佐美瑠璃・郡愛子・羽山晃生・小林由樹というトップ歌手たちがこぞって参戦、各自が東西数曲ずつを歌ったが、特に歓迎された大島の可憐を極めた愛のアリアや、郡が女の怒りと色気の歌で鮮やかに示した西のアリアの豊かさに、宇佐美がワカヒメの《蝶の歌》をトリで涙の絶唱をして東のアリアの存在感を示し、毎年の目玉企画への期待を持たせた。《あしたまた》という小さな歌の各節を5人が歌いまわす趣向を盛り込んだアンコールは微笑ましく、楽譜の注文が相次ぎ、用意すべきだったと後悔した。
4日目「中国音楽の旅」は土曜の夜でもあり、二胡チェン・ミンというテレビで知られた才女が山梨日日新聞で事前に紹介されたせいか、増設した椅子席からもあふれた人たちが芝生でくつろいで見守る中、シズカ楊静・費賢容との鮮やかな中国美女トリオ。蘇東坡の詩に楊静が新作して琵琶のみならず高揚した朗唱をした《名月はいつまた昇る》には日米混成の結アンサンブルも加わり、その音楽に、美しく照明された赤松の林の上に揚がった折からの十三夜の月も微笑んだ。終わりに聴衆と共に歌った《ふるさと》では、この雰囲気もあって沢山の人が涙をにじませたそうだ。
5日目のクロージングコンサートは、意表を突く南国バリ島直伝で巨大な竹ジェゴグの合奏を繰り広げたスカル サクラに続いてパルサス・トリオ。休憩を挟んで新筝の木村玲子、尺八坂田誠山、ティンパニー有賀誠門、琵琶のシズカ楊静が秘術を尽くしたソロの競演の後、東西打楽器8人と琵琶が繰り広げた、阿波踊りのリズムで通奏する《Zコンヴァージョン》。スコア上の私の仕掛けに輪をかけた指揮の有賀魔術によって、信じられない躍動感がステージに満ちて溢れ、釣られた聴衆が次から次へと踊りだして制御が利かなくなったほど。北杜の森にガラ・ナイトの真骨頂が現出し、まさに私がこの音楽祭に望んだ『共生・共楽』が実践された。
3日目の夜は音響のいい長坂コミュニティーホールでオーラJ、宇佐美瑠璃、小林由樹、指揮・榊原徹が05年初演以来最高の演奏をした「邦楽器による伝説舞台《羽衣》」。このような劇音楽のあることに沢山の人が驚きと感動を示し、日本人必見・必聴を説く人が多かった。今後もHIMFは、慎重に室内向きの企画と野外の饗宴の棲み分けを図っていくつもりだ。
午後のコンサートは、今後拡大を図りたい参加公演のモデルとして、2日目に行った「甲信音楽家&滞在音楽家による楽しい午後のコンサート」には、レヴェルの高いいろんな取り合わせで4組が参加。最終ステージは長坂在住のピアニスト、清里に住み着いているアメリカのチェリスト、小淵沢滞在のヴァイオリニストというマルチカルチャー「結アンサンブル」の《ピアノ三重奏曲》が締めた。
3日目午後は、昨年のシンポジウムに代えてコンサート&レクチャーで音楽祭の実験的な側面を試行する「自然やコンピューターとも共生する楽器たち」。用意した50席で足りず急遽100席ほど追加。前半有賀誠門講師の「元気はUP感覚だ」は賛否入れ混じりながら驀進。後半のコンピューター音響には疑問の声もあったが、それらに即興で対峙したシズカ楊静は、琵琶だけでなく古筝や古琴を操る多才さを聞かせた。
4日目と5日目はオーラJがホストを務める第2回「全国現代邦楽合奏団コンヴェンション」で、土曜昼が各合奏団自慢のレパートリーを聞きあう対流コンサート、日曜昼が合同練習の成果を示す交流コンサート。昨年に続き全国から百人近い邦楽演奏者が集って熱演し、最後に邦楽器群の祭典に最も相応しい《巨火(ほて)》の第3楽章《魂振り》で完全燃焼して来年に繋げた。
特筆したいのは日曜日午前、青少年を対象に企画しながら大人相手に切り替わったマリンバ打楽器コンサートで、パルサス・トリオが各種打楽器を操って示した驚嘆すべき高技術と真摯な演奏者精神だ。彼らが初日に演奏し、この日は自主的に追加演奏した、本来の4人版が世界で1万回を超えて演奏されている《マリンバ・スピリチュアル》の3人版は、作曲者として太鼓判物であった。
新しい文化は、先行する複数の文化の激しい衝突でしか生まれないと信じる私は、この音楽祭創立に際して『東西音楽交流の聖地』創りを大目標に掲げた。
こんな大言壮語をするのは、私の50年になんなんとする国際的な実践の成果を踏まえての確信、各コンサートの終わりの曲で聴衆を必ず幸せな気分にして帰せる作品の蓄積があるからであるが、それを支えてくれたNPO(アルソア全社員も献身)や北杜市職員、演奏者と各種スタッフ、現地ボランティアの皆さんに、喜寿を迎えた老作曲家として深甚の感謝を申し述べたい。私は来年のありようを考えて眠れない夜もあるのだが、ありがたいことに、音楽祭が終わっても彼らから励ましのメールや手紙がひっきりなしに来る。みんな、もう既に東西音楽交流のメッカにいたという確かな幸福の余韻に浸りきっているそうだ。
自然の中には、都市が忘れた光と影、潤いや微風がある。この八ヶ岳南麓、赤松の林に囲まれた北杜の高原で、毎夏、行き過ぎた文明の中では予期できない独特の音楽とその演奏が生まれ、地球終末の危機に立つ人間の心を、きっと守り蘇らせるに違いない。
|