そしていよいよ国文祭だ!《幸せのパゴダ》チームは11月はじめから徳島入りしてクレメントホテルと郷土文化会館の間を往復しながらこのユニークなフォークオペラの仕上げに取り組んだ。
ホテルの対面に見える眉山山頂の白いパゴダが朝日・夕日に光る。私も久しぶりに詣でたが、岩田さんと一緒にキャストたちは2度もロープウエイを昇った。戦中ビルマ戦線で沢山の犠牲者を出した徳島の人たちが戦後ビルマ会を作り、太平洋戦争のすべての犠牲者を対象にそのパゴダを建立し、特別な仏舎利を頂いて祀っている。実は演出の岩田さんの実家は神戸のお寺さんだという。そのお寺にはどうしてかパゴダのミニチュアがあり、ご尊父は国籍がないためお墓を作れない朝鮮の方々のお骨を預かっていたという。《幸せのパゴダ》の台本は、そのご尊父が神戸の大震災で亡くなられたことへのレクイエムとして書いた、と岩田さんから聞いたとヒバリ役の大貫裕子さんから又聞きした作曲中の私は、身が引き締まる思いがした。終戦時15才で海軍兵学校予科生徒だった私は、戦争に起因する集団赤痢で死の床にいた。 生き残った私は、あの無謀で悲惨を極めた戦争のなかで、飢餓地獄や自殺に等しい戦死、故なく空爆で散った数百万の人たちの霊に捧げるオペラを書きたいと願い続けていた。予想を超えた岩田さんの台本を得て、自分の命あるうちに希みに適う作品を完成することが出来た。私にとって4作目になるフォークオペラで、長編オペラは「日本史オペラ8連作」とあわせて12作となる。歴史的には現代部分を補う作品でもある。尚、作品・初演データー・台本(準備中)・ストーリーと音楽構成などは《幸せのパゴダ》をクリックすると見られる。
フォークオペラ《幸せのパゴダ》が2時間の大作になったため、国文祭グランドフィナーレを午後の第1部・夜の第2部に分離し、11月4日(3日公開GP)午後1時から《幸せのパゴダ》の初演を行った。夜の第2部(閉会式)の最後に《ふるさと交響曲》の初演という配分になった。何しろ1週間に百近い県民参加の選り抜かれたイヴェントが徳島県内各地で行われる。徳島市内でも各ホールはぎっしり詰まったスケジュールで蟻の這い出る隙間もない。情けないことだがメイン会場で800席の郷土文化会館にはオケピットもなく、舞台袖も狭い。オペラができる環境ではもともとないうえ、使用の過密スケジュールで、グランドフィナーレ全体が戦闘状態。次々のイヴェントをこなすため、せっかく世界初演される《幸せのパゴダ》なのに舞台道具はホール備え付けの山台を組み合わせて使うしか許容されない。作品自体の力とキャストの歌唱・演技力を基本に、演出は衣装と照明の工夫で聴衆に大きな感動と満足感を残すしか手がない。出演者やオペラスタッフのみならず、県職員はじめ地元の人たちすべてがほんとうによく協力してくれた。総合プロデューサーとして、最大の感謝をここで申し述べたい。
何よりも心和んだことは、悪徳マネージャーのため使えなくなった「歌座」の伝統を受け継ぐ「三木オペラ舎」の名で集ってくれた、ソプラノ2、メゾ2、テナー2、バリトン・バス2のそれぞれに付いたプリマ・ヒバリ・ケーリ・作曲家・プリモ・ポチ・パゴダ・座長という痛快な役柄を、この上ないキャスティングと皆が認め合ったほど最高だった8人の存在だ。悲嘆のアリアもあれば、吉本新喜劇を髣髴させるコメディー部分あり、存立の危機にある座員たちを導いて不思議な調和を達成させる広々とした歌や合唱を、みんなが待望していた岩田スーパー演出のもと、完璧にこなした練達のオペラ歌手たちだが、本番に来られなかったカバー役の2名や、コレペティのピアニストたちを含め、またのチャンスを願いつつ深甚の感謝を申し述べたい。
稽古には終わりの方からの参加だが、ピットでなく舞台下手に陣取って器楽でドラマを演じとおした「結アンサンブル」のヴァイオリン・クラリネット(バスクラ持替)・ピアノ・打楽器の4人。これら器楽をコントロールし、即興性の強い部分をガイドし、下手仮花道の前という不便な位置から歌手たちにキュウを送る困難な指揮をこなした榊原徹には、プロデュースを分担してもらった。彼は、諸条件がきわめてシビアなこの仕事を文句ひとつ言わず立派に勤めあげてくれた。音楽祭以来の奮闘に頭が下がる。県の直接の担当者で、私たちと何百回ものメールのやり取りをした吉本宏紀とあわせ、本当にご苦労さんでした。
さて、その日最終便で帰京するパゴダ組に設定した打ち上げにゆっくり出られないまま、グランドフィナーレ第2部の練習に駆けつけ、地元勢が大トリで演奏する《ふるさと交響曲》のGPに立ちあった。なんと言っても問題は、反響版を使えない時の音響の悪さとバランスだ。改装して昔とは格段によくなったらしいが、セレモニーのため反響板が使えない今回、まず最後部に並ぶ予定をしていた70人の混声合唱は、私が東京にいて参加できない早期の練習ですでに両花道に移動を許可していて、本番でも立派に最後の「ふるさとの風」の合唱を歌い上げるのに成功した。合唱指揮の吉森章夫氏の指導がまことに適切だったのだと思う。しかしこういったセレモニーの中で大編成の管弦楽に、努力に見合う最高の結果を求めるのは、より条件のいいホールでも難しい。今回は初演として「ふるさと」への思いや愛を十全に吐露する作品の創造ができたこと、徳島の音楽関係者を糾合できたことに満足すべきかも知れない。徳島にも、同じ日「オーケストラの祭典」を行っていた徳島文理大学のホールのような立派な専用コンサートホールがある。是非多くの機会を捉えて再演を繰り返していただきたい。この《ふるさと交響曲》は、オケも邦楽器群も合唱も各地方のアマチュア演奏家で演奏ができるよう作曲したので、練習を積み、経験を重ねれば信じられないような高度な暖かい演奏に達するはずである。同じ郷土文化会館でこの作品が再演される場合、後部に位置せざるを得ない通常の2管編成オーケストラの木管部分と、尺八群・筝群・三味線群あわせて20人ほどの邦楽器アンサンブルは音響を補うマイクの適性とマスを平等にカバーするマイクの数、そして技術者の慣れによって、改善の余地があると思う。今回これらは全体音響の中で本来の音色を得られず、バランスを欠き、それぞれの楽器の通の人たちから埋没と非難される結果になってしまった。7月以来聞かせていただいた指揮の生駒元氏のご指導はきわめて温厚で適切だっただけに、プロデューサーとして申し訳ない思いでいっぱいだ。
しかしながら、今まで他県で行われた国文祭が創造したオーケストラ作品で、日本人のレパートリーとして頻繁に使用されている例を聞いたことがない。他県の人が聞いても自分の故郷を連想するよく知られた民謡や民族音楽7つに別の角度から光を当て、日本人の故郷への意識の原点を「ふるさとの風」で集約した《ふるさと交響曲》は、絶対にその役目を果たすと確信する。いつもは一緒に演奏しない音楽家たちが集って練習してきた、みんなの作品だ。まず同じメンバーで徳島での再演を聞きたい。
冷静に考えて、一人の作曲家のオペラとシンフォニーが同日世界初演という例は、おそらく世界にも例がないか、あったとしても稀なことだと思う。一人の馬鹿がいて3百万の自己資金を持っていればなんでもできる、という通説があるそうだ。その話を今夏聞いて、まこと自分がそうだった、長年よくやってきたものだ、と深々と回顧したものだったが、小遣いを貯めて作ったその「あほ300基金」を全部使い切っても、自ら経済的な責任を負うことを辞さず、故郷徳島にご奉仕できるこのプロジェクトを成功させ、向こう見ずにも18歳で「メサイヤ」を完遂して以来、連綿と続いてきた大規模なプロデュースの最後にしようと秘かに決心していた。《愛怨》作曲中によくぞ企画し、とにかく成功裡に終えた。自分の個人的な状況も踏まえながら、心底からホッとしている。
しかし実は、この初演練習の終期から私は並行して、次のような欲求に駆られ続けた。それは、このフォークオペラ版はそのままに残し、別にセリフを書き直してもらって100%歌化し、伴奏を付与し、そのオーケストレーションを施し、「日本史連作」の第9番となる完全オペラ版を作りたいという強烈な欲求だ。(このことは岩田君の同意も得て、来年中の完成を目指して歌化・伴奏作曲とオーケストレーションを開始することにした。)