宗教音楽作曲コンクール


2008年2月14日 三木稔

 2008年1月29日から2月2日にかけてスイス・フライブールで行われる宗教音楽作曲コンクールの本選のため、今70近いアカペラ合唱曲作品の譜面を見ている。イタリア語のダンテ「神曲」のどこかの部分をテキストとするユニークなコンクールだが、スイス・イタリア・オランダ・ポーランドの専門家たちとじっくり審査するのは、言葉がイタリア語だけにシビアなことではある。
【事後追加】1月28日成田を出発、パリ経由でチュリッヒに到着、列車でフリブール(フランス語が2/3を占める地域で、最近は公式にこう呼ぶことになったそうだ)に向った。直行との情報と違ってベルンで乗り換え、それもエスカレーターのないあたりの車両に乗っていた、ぎっくり腰気味だった私には、3分で3番線から8番線に移るのは一大事だった。たまたまヘラクレスのような人がいて荷物運びを手伝ってくれ、本当に助かった。
ジュネーヴと首都ベルンの間にあって、標高700メートルの美しい中世の町フリブールは人口2万4千、美しいスイスの水を湛えて蛇行するサリーヌ川が岩山を削る天然の要害で、11も大小のカテドラルがあるが、他の点ではいろいろ八ヶ岳南麓と共通性がある。ここの自治体が主催する宗教音楽国際フェスティバルは7月上旬に行なわれるが、そこで今回の作曲コンクールの優勝曲がオランダ室内合唱団で初演される。市の職員やコンクールの民間組織者5〜6人と最終日に会食したが、大変親切で、その音楽祭組織への考え方なども参考になった。
審査は足掛け4日間、英語・ドイツ語・イタリア語・フランス語が飛び交い日本語を忘れそうになったが、初めてのアジア人審査員をみんなカバーしてくれて楽しく終え、私が最初から第一位に押していた”Oscura Luce”という作品が結果的に優勝した。私が内々非ヨーロッパ系の作曲家かと予想したほどキリスト教や仏教的ではなく、でもダンテの「神曲」の各章を体現したいい作品だった。でも五線譜に書くのでなく、指導者がじかに口伝で連日一座を教え込み「ケチャ」のような仕上がりに持っていければ、大衆をも魅了できる本物になると思うと選評を求められて説いた。決まった後、個人データーを入れた封筒を主催者立会いで開封したらDenis Schulerという38歳の教師、このコンクール10回目で初めてのスイス人優勝で、市の人たちは大喜びだった。
この2月1日は私たち夫婦の金婚式に当たるが、妻の那名子は神戸から上京して大学を受験する孫の世話で、スイスには一緒に行けなかった。レンタルで持って行った携帯で「50年よく来たね」と電話する。「よく憶えていたね」と返事が返ってきたくらい、家事に無頓着な私にしてはミスしなくて、よかった! 審査中毎日、ここが本場というチーズフォンデュなど、フリブールのレストランの場所や料理内容をその都度変え、審査員たちが一緒に食事し、夕方最終結果を出す前のこの日の午後は、標高差100メートルもある市内のカテドラルや観光名所を、審査委員長で作曲家・指揮者チューリン・ブレームさんの親切な案内で、みんなハイキングの出で立ちで巡回、おかげで互いに長年の知己のようになった。


三木 稔