Chamber Soloists Luzerne


2008年2月14日 三木稔

 コンクールが終わると2時間移動して美しい街ルツェルンへ。2月3日にChamber Soloists Luzerneが「三木稔室内楽作品コンサート」を催してくれるのだ。昨年の北杜国際音楽祭で素晴らしいチェロを弾いたユルグ・アイヘンベルガーがリーダーで、ルツエルンに住んで6年目になるシズカ楊静も客分である。《東の弧》《弦楽四重奏曲》《マリンバ・スピリチュアル》《秘曲 愛怨》など、楽しみなプログラムを知らせてきている。
【事後追加】フリブールをたつ日の朝、起きてみたら雪! なんと11月半ばから暖冬の西ヨーロッパではクリスマスプレゼントもなかったのだ。真新しく、美しく化粧したスイスの風景を堪能しつつ、列車で1時間40分のルツェルンに向う。駅に迎えに来てくれたシズカ楊静夫妻の車で彼らのマンションへ。
ルツェルンではシズカが気を利かせて、コンサート主催のルツェルン音楽大学が押えてあったホテルをキャンセルし、溜まっている仕事の打ち合わせに便利なように、このマンションに3日間泊まることになった。東の窓からは、ルツェルンの街と湖を辿った目線が、ダイヤモンドヘッドのようなリギ山系へ、さらにその向こうにはグラルス・アルプス山系。西南の窓からはピラトゥス山、そのずっと先にはユンクフラウを含むベルナー・アルプスという絶好のロケーションのこの家を、主人のウオルターとシズカの二人が、探し出したのは自分だと別々に言うので苦笑い。でも大変な自然の造詣だ。その夜はシズカの手料理で8人ほどが集うパーティーが催された。明日演奏するユルクや、事務局のドリス、ケルンにすむ音楽学者で日本語べらべらのハインツ・ディーター・リーゼさん、スイスのキリスト教事情を調査にいらっしゃったピアニストの戸川夏子さん、パリ訪問の途中で駆けつけたバリトンの多田康好さん、に私たちが加わって、爆笑につぐ爆笑のスイス・ナイトが展開された。
 2月3日(日)17:00からは、ルツェルン音楽大学(元Hoch Schule)主催で、Chamber Soloists Lucerneが《Marimba Spiritual》 《String Quartet》 《秘曲愛怨》, 若いPhilopp Fankhauserという作曲家の短い作品をはさんで、最後に《East Arc》を演奏。室内楽ホールながら、折からのカーニバルの喧騒をよそに満席の聴衆に暖かく祝福され、昨秋一旦行けないと断っていたのを年末に撤回して、参加して本当によかったと思った。コンサートに先立って午前中に、私の来し方を2時間しゃべらせてくれるワークショップも設定されており(ドイツ語への通訳にはこの大学にヴァイオリン留学中の坂口ひろみさん)、そのためにケルンからリーゼさんがコーディネーターとして来てくれていたので、すごく充実した一日となった。午後にはラファエル・クリステンが指導するこの大学のマリンバ打楽器コースの学生10数人に《Time for Marimba》をテキストとする1時間半のワークショップが設定されてあった。《Marimba Spiritual》を頂点とする私の打楽器作品は、06年オースティンでのPASICのように、アメリカで信じられないような拡がりを感じさせてもらったが、実はヨーロッパのほうがその倍も普及していることをJASRACの実績報告書で知っていた。久しぶりのヨーロッパで一端を見ることができた。PASICで演奏された“New and Unknown Percussion Works of Minoru Miki”の新録音CDが留守中の我が家に送られているはずなので、ヨーロッパに紹介してあげなくっちゃ…。
 出発直前に軟便になり、旅行中も止まらず厄介だったが、それで体力を落とさないよう、食事はみんなと普通に食べたせいか、帰国後も1週間止まらなかった。でも、日本で憂鬱なニュースばかり見ていた数ヶ月とは全く別の、音楽と美しい景色を見る日々で、心身ともに完全にリフレッシュした感がある。
ただ帰国後、山のようにたまった仕事で、全く外に出られなかった。作曲中の作品への復帰ができなかったのも悲しいが、他の最大のものは今年の八ヶ岳「北杜国際音楽祭」HP:http://www.hokutofestival.comへの基本情報のアップだった。私にしか書けないデーターらしいので、出発前に書いてデザイナーに送り込みたかったのだが、62曲の譜面精査で思うに任せず無理でノートパソコンを旅に持参した。月一回のペースで更改するデーターを、1回逃したら音楽祭にくる計画を立てる人が100人は減る。新しく設定した「参加公演」や、毎度遅れて、どたばたしてきた「全国現代邦楽合奏団コンヴェンション」への参加を考えている人たちへの背信行為なので、帰国後疲れなどいとわずデーターの作成と推敲を重ね、帰国後4日目にやっとアップできた。半月遅れたが皆さん是非覗いてください。それにしても、海外公演のプロデュースが続いた1972年以降、必ず書きかけの作品を携行して、ホテルで続ける習慣を30年も続けてきたが、今回は下痢もあって早寝してしまったり、方々でLANが繋がらなかったせいもあって、流石にデーターを持参のコンピューターに打ち込む気分になれなかった。やっぱり歳かな?


三木 稔