八ヶ岳「北杜国際音楽祭」2008


2008年9月11日 三木稔

第3回を迎える八ヶ岳「北杜国際音楽祭」2008年は8月22日(金)から31日(日)まで行われた。
北京オリンピックとの兼ね合いもあって、22日は「全国現代邦楽合奏団コンヴェンション」の講習で始まり、23日(土)の「オーラJ+日中韓新筝(21絃)」演奏会をプレ・コンサートとし、ユニークなFringe festival(周辺、もしくは参加公演)のコンサートを3回挟んで、27日(水)にオープニング・コンサート、31日(日)がクロージング・コンサートになった。今年は東西交流の象徴のような楊静やアジア アンサンブル、結アンサンブル、そして昨年好評を得た「東西オペラアリア・コンサート」はもちろんリストアップしているが、ヨーロッパからの招聘はザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団のプリンシパルで構成する弦楽カルテットが西の目玉である。

定評あるモーツァルトの最上の演奏はもちろん期待できそうだ。実は、私の親友で、その才能の全開を期待されながら数年前に亡くなった作曲家池野成の一番弟子であり、彼の死後、池野作品のコンサートやCD化に丁寧なプロデュース力を発揮した若い作曲家藤田崇文が、伊福部昭先生にも東京音大で習っていて、2度の伊福部音楽祭のマネージメントを先輩とやっているのを見て信頼し、今回HIMFのプロデュースに加わってもらった。今年は、シズカ楊静を介してロシアの弦楽合奏団クレムリンを呼ぶつもりであったが、スペインの音楽祭に先に取られて困っていた私が相談したところ、藤田の友人で、モーツァルテウム管弦楽団のソロヴィオラ奏者である加藤順也氏を介し、同楽団のプリンシパルによる弦楽カルテットが組織されて、HIMF2008の海外からの招聘楽団となった経緯を報告しておこう。
藤田は、自分の新作や編曲も含めモーツァルテウム弦カルのプログラムに趣向を凝らしているが、私の弦楽四重奏曲も是非加えましょうというので、ザルツブルク音楽祭で超多忙な連中が充分な練習時間を取れるかどうか、一抹の心配をしながら演奏してもらうことにした。私の《弦楽四重奏曲》は1989年フィンランドのクフモ室内楽フェスティヴァルから委嘱され、若かった小林美恵・向山佳絵子たちが加わったカルテットで世界初演されたが、モーツァルトの専門家たちがどうアプローチするか楽しみだ。初演は爆発的なスタンディングオヴェイションで、その録音を今聞いても、さすが超一流ソリストの卵たちのド迫力で、クフモの聴衆が発する歓声と拍手の勢いが続いて止まらないのもまこと当然と感じる。この曲は個性的過ぎるとかも知れないが、内外でその後何十回も演奏されながら、演奏効果にむらがあり、充足した気分で聞けるときと、なにかしっくり行かない場合が交錯する経過を辿ってきているので、今回は充足のほうに期待をしている。彼らのコンサートは28日(木)、30日(土)、そしてアジア アンサンブルと交流する31日(日)と、あわせて3回出演がある。

【事後追加】
関係者にとって年中行事となり、北杜の夏の風物詩ともなってきた八ヶ岳「北杜国際音楽祭(HIMF)」だが、今年は初日の22日以外は間歇的に降り続いた異例の雨に随分気勢をそがれた。最後の3日間など、東京方面から前売り券を買い、ホテルやペンションを予約していた熱心な人たちでさえ、多摩地区の集中豪雨のため中央線が不通で諦めたケースも多かった。
二酸化炭素問題によるのだろうが、熱帯化して、雨というより毎夜スコールのごとく突然猛烈に降るのでは野外公演など危なくて計画できない。周辺や東京は雷などが更にひどく、小淵沢はまだ随分ましだったようだが、来年は、より平穏な8月前半にもって行きたいと思っている。
しかしHIMF以外ではありえない独特な各コンサートの音楽内容は、そのような自然現象に惑わされることなく、券買態勢が今年も整わなかったため、やや空席も目立ったことなどお構いなく、どれも高いレヴェルを維持して、開催に努力を重ねてきた関係者を感動させた。アンケートを見ても私の「東西音楽交流の聖地創り」の方針を支持していると思われる常連客が多くなった印象で、「こういうコンサートを聞ける北杜市に住まって幸福を感じている」と書いた人も随分いたし、声の飛びかうコンサートも多くなってきた。勿論、音楽祭の独自性などお構いなく、ずれた要望を書くお客もいるわけで、今後何十年も引き締まったプロデュースを続ける覚悟を若い人たちに求めたい。
個々の主催コンサートを具体的に振り返ってみる。勿論、芸術監督としての公式コメントでなく、私個人の見解である。

★23日夜、長坂コミュニティーホールでのプレコンサートの冒頭、伽耶琴の文良淑と新筝の藤川いずみは、文さんがソウルから到着した前夜から私の山荘に泊まりこんで猛練習をしていた成果が出たか、佐藤容子作曲のデュエット”Rain Poems”を緊密なアンサンブルで演奏した。爪をつけない伽耶琴なのに文さんは十分な音量をもったタッチで各音を発音し、驚かされた。彼女のソロで韓国の若い作曲家Jeang Parkの「夜の歌」の好演に続き、彼女が頻繁に演奏していて、この11月にはアメリカでオーケストラと弾くという私の《松の協奏曲》のソロ版《ラプソディー》抄は、演奏時間を気にしてカットしすぎ、演奏の訴えを弱くしてしまった。申しわけない、再演を待つ。日本の新筝(にいごと、21絃)の木村玲子は、二十絃が世に出た1969年に私が書いた最初の、そして本曲的に難度の高い独奏曲《天如》を完璧に弾き、彼女が新筝屈指のソリストであることを、全国から集まった邦楽器演奏者たちに強く印象付けた。
後半のオーラJの演奏は、3月のオーラJ 21回定期で同時に初演された、ロック音楽の要素を大胆に取り入れたドナルド・ウオマック作曲”Walk Across the Surface of the Sun”と、注目若手奏者野澤徹也をソリストとして私が書いた《三味線協奏曲》の音楽祭初演は、榊原徹指揮のアンサンブルが、東京で同メンバーによって得た自信を生かして爽快にやり遂げられ、今回ハワイから「招待作曲家」として臨場されたウオマックさんを喜ばせた。次の《希麗》は、この私のHPを管理してくださっている萩原一功さんの委嘱でアマチュア向けに今春書いた尺八と新筝のための8分のデュエットだが、坂田・木村のさすがの好演に、たちまち楽譜の注文が相次いだ。最後の《尺八協奏曲第1番「南の風」》を作曲したマーティー・リーガンは、日本やハワイで学び、テキサスA&M大学で教える若い作曲家ながら、自身尺八をたくみに吹き、9月1日にロチェスター大学プレスから出版された三木稔著「日本楽器法」の英訳者でもある邦楽器のエキスパート。このコンサートのトリに委嘱新作を初演するのは音楽祭として大英断だったが、沢山の邦楽器演奏者が集まるこの夏の高原のコンサートに相応しく、さすがこなれてポピュラリティーのある新作を提供し、榊原指揮オーラJの愛情ある力演を得て、聴衆を文句なく喜ばせてくれた。

★27日夜のオープニング・コンサートは、アルソア本社の森羅ホールで行われた「楊静と結アンサンブル」。最初、空調ノイズに対抗するための適切なPA音量設定に悩みはしたが、音楽祭音楽監督の責任を背負った中国琵琶(Pipa)シズカ楊静の、東西世界を闊歩する大技で始まった。筆致鋭く大胆に音楽を描写した自作の4枚の墨絵をバックに「発承廻和」という漢字の4つの形象を、余白や奥行きに満ちて、即興風に、秘術を尽くして余すところなく表現した冒頭ソロ演奏で、この音楽祭の個のレヴェルの高さを代表してくれた。第2部最初には、楊静の代表作《亀茲舞曲》をリピーターのために演奏してもらう。
「結アンサンブル」のヴァイオリン三木希生子、チェロ橋本しのぶ、マリンバと打楽器の臼杵美智代のトリオが加わる曲目について、第1部では今年は「源氏物語千年紀」ということなので、私のオペラ《源氏物語》の前半からの器楽組曲《平安音楽絵巻》をナレーションなしで演奏。第2部では、2002年の第4回大阪室内楽フェスタ特別賞受章演奏の《東の弧》。ツアーで毎年のように演奏しているので、結アンサンブルの3人も余裕を持って美しい音で、ほとんど完璧な演奏をする。アンケートのほとんどが「凄い、の一言!」「とにかく感動」とか、「アンサンブルも最高」「美人の方ばかり集まって」とか書いている中で数人、「敷居が高かった」「難解」とか書いていく人がいた。最後の壮絶な「古の戦い」でも心が解けないのなら情けない。

★28日午後は森羅ホールでのワークショップ、というよりオペラ《愛怨》のDVDを使った私のレクチャーといったほうが判りやすい。こういったことが芸術監督の押し付けと思われるといやなのだが、後でインターネットのwww.amazon.co.jpで調べたら、商品の説明に、内容(「Oricon」データベースより)というのがあって 『三木稔×瀬戸内寂聴のコンビによる国産オペラの記念碑的傑作! 青年と双子の姉妹をめぐる壮大な愛の歴史絵巻。アジアの伝統楽器と西洋音楽を融合し、三木稔の音楽技法が十二分に駆使された作品。2006年2月、新国立劇場オペラ劇場で行なわれた公演の模様をハイビジョン収録』 と出てきた。押し付けではなかったとホッと安心した。第1部でオペラDVDの各チャプターを数十秒見せ、重要なシーンはカットせず見てもらった。第2部で私の創作秘話、そしてシズカが第2幕の主役たちの《出会い》と、第3幕、《秘曲愛怨》を生演奏したが、アンケートで見ると、オペラは始めての人が強く感動した模様がよく判る。オペラ、特に日本のオペラ普及のためには、これに勝る企画はなかったろうと思い直した。

★28日(木)はいよいよ今年の目玉、ザルツブルク・モーツァルテウム弦楽カルテットが長坂コミュニティーホールに登場してAプログラム。ザルツブルク音楽祭の出番を終えた翌日出発して、27日北杜入りした疲れも見せず、デリケートにして重厚な響きで、期待してきた聴衆を満足させた。特に最後のドヴォルザーク「アメリカ」はモーツァルト以上のベストレパートリーと思わせるほど音楽的な充足感に満ちて、アンケートにも多数の絶賛が見えた。ウイーンの軽い音楽や「千の風」のサービスでなく、堂々とモーツァルトの弦カルを期待した人たちもいて、選曲は悩ましい。私が不安だった自分の弦楽四重奏曲「月」「渚」の演奏は、ザルツブルク音楽祭中の短時日の練習で、彼らにとってはまだ表現の入り口だったのだろう。私にももどかしさが付きまとい、つい帰宅して世界初演のテープを聴き直したくらいだった。しかし9月3日に東京狛江のホールで「渚」を演奏したときには、数人の専門家たちがお世辞風でなく「ピカイチだった」と言ったくらい進歩していたのと、打ち上げで彼らが揃って「ヨーロッパで度々演奏したい」と真摯さを披瀝したので、どんな曲にも、共感を持つまでの充分な練習が必要であることを、あらためて知った。
元雑誌編集者という地元の初期高齢者のアンケートには、スライドなど映像を使ってザルツブルクやウイーンの紹介をしたらとか、「月」「渚」はあまりに東洋的とかのご指摘があった。私の弦カルは決してポピュラリティーを目指して書いた作品ではないので、この曲の美しさに入り込めない人がいても当然ながら、このような、北杜国際音楽祭が掲げるポリシーと違う注文にはどう対処すべきだろうか?
尚、私がこのモーツァルテウム絃カルに一番感動するのは、日本の音楽教育のように縦の線にこだわるのでなく、各パートが自分の歌を存分に歌うダイナミックな音場創りの楽しさである。モニカ・カンマーランダー、ダニエラ・ガラー、加藤順也、バルバラ・リュプケの4人それぞれにスタイルを持ち、自然人のごとくまことに自在である。だから大きく感じる。また、この企画のプロデューサーを務めた藤田崇文の人間味から自然に生まれたような司会は、内容もスタイルも微笑ましかった。その平易さに、学校公演ではないのだから、といった反対意見もあるが、任された場では自分を貫けばいい。

★29日(金)夜は同じ長坂コミュニティーホールで、昨年は野外でやった「東西オペラアリア・コンサート」の第2回目。戸川夏子企画・構成も2年続きでお願いした。『日本の第一線のオペラ歌手たち集うコンサートで、各歌手が、原語で歌う西洋の著名アリアと、日本語でうたう日本のアリアを、それぞれ少なくとも1曲ずつは歌う』という、かつて例にないコンサートの必要性を私が考えたのには、極めて簡単な理由がある。オペラにとってアリアは命であり、アリアが歌われ知られることによって、そのオペラに通う聴衆が育っていくのは極めて自然なことである。しかるに日本人のオペラは、この100年で1000も作られているに、アリアが独立して歌われることはきわめて稀である。というのは、アリア、あるいは自分の旋律で人を感動させることから、日本の作曲家たちが逃げてきたからだ。旋律を書くことで現代作曲家でないと言われることを恐れるのはもう止そう。旋律という、他の芸術にはない音楽の一番の武器を捨てるなんて、もったいないことだ。オペラの聴衆にとって、自国語で歌われる歌は、外国語のそれよりはるかに理解しやすいし、歌手たちの努力も直裁に伝わる。私は「三木稔、日本史オペラ8連作」を《愛怨》で完成し、今現代題材の第9作を作曲中だが、35年間、自分の旋律やドラマツルギーを育て続け、決してぶれることはなかった。歌手たちが喜んで歌い、泰西オペラのアリア群とがっぷり四つに組んで聴衆を感動させられると確信できるアリアが、少なくとも二桁はある。でも公開されなければ広く歌ってもらうチャンスはない。昨年全音楽譜出版社から「三木稔オペラアリア集I」が出て、この企画を押す決断がついた。当面は残りのアリアや他の作曲家のアリアを歌手たちに探してもらい、コピー譜で対応するが、このコンサート方式を皆が継承して実行してくれれば、日本人のアリア出版を強力に後押しするに違いない。
さて、この思いに賛同して今回歌ってくれたSop:大島洋子、宇佐美瑠璃、Mez:郡愛子、Ten:経種廉彦、Bar:小島聖史の5人(Pf伴奏:久保晃子、奥千歌子)はさすが強力で、アンケートを寄せた沢山の人が企画と演奏に文句なく、手放しの賛辞を寄せた。トップでヴェルディを歌った経種の超!張りの有る歌がコンサート全体の趨勢を決めたといって過言でない。そこで起こったブラボーは、次々に波及し、終演までほとんど途切れなかった。それぞれアリア資格というコンテンツ満載、客席リラックスというのはすごい現象でなかろうか。券売努力があって満杯だったらどれだけ幸せだったろう。
各自4曲、合わせて20曲(日本のアリア10曲)全部に触れることは出来ないので、ここでは7曲も歌われた拙作のうち、経種「いとしの面影」《愛怨》より、郡「都へ帰りましょう」《静と義経》、宇佐美「私」《幸せのパゴダ》が作曲者の意図通りだったと伝えたい。アンケートでは、ほぼどの曲も、どのソリストも、平等にファンを獲得していたとおもう。雨で来場を諦めた方々は残念でした。

★30日(土)昼 長坂コミュニティーホールはモーツァルテウム弦カルのBプログラム。このプログラミングも藤田担当だが、モーツァルテウム管弦楽団がかたくななまでのモーツァルトのエキスパートという常識と違って「ディヴェルティメント第1番」「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」以外は「アンダンテ・カンタービレ」「エスパーニャ・カーニ」等小品を集めた夏の高原向きの内容。それに私と藤田の共通の師である伊福部昭「日本組曲」より演伶、「ゴジラ」の例のテーマ「聖なる泉」、「千の風になって」とくるからリラックスしないほうがおかしい。唯一藤田の新作「ルート38」は、彼の生まれた十勝の風土へのオマージュで、長くはないが広々とした時空を感じさせ、アンケートの支持も多かった。
私は芸大時代、2年次以降は学校にほとんど行かず、伊福部先生のお宅に寝泊りして「ゴジラ」など映画音楽の録音準備のお手伝いをしながら、先生のさまざまな作品を学んだが、初期の「交響譚詩」や「日本組曲」は別として、先生の言われる民族性が、平安や江戸期の日本とは別物で、むしろ西欧や中央アジアの特性に共通性を見出して、何時しか足が遠のき、自ら邦楽器や民俗音楽、あるいは東南アジアを通して自分のアイデンティティを形成する道を歩んだ。それが、このコンサーとで藤田新作(31日の「OTUKOH2008」も同様)を聞いて、ハタと感じるところがあった。北海道、とくに釧路や十勝などの風土に育った作曲家は、むしろ欧米の作風こそが偽りのないアイデンティティなのだと。今藤田は、東京のさまざまのオーケストラの編曲仕事で目の廻る忙しさだと聞いているが、基となる欧米の曲に全く違和感がなかったら、自由自在に編曲の腕が揮えるであろうこと疑う余地がない。私が若いときは、日本・アジアの作曲家として常に原曲への非同質性に悩まされ、編曲依頼はほとんど断り、映画やTV劇伴の仕事でも自由に創造できる職場を選んだ来歴がある。しかし、上記2曲の、流れるように闊達な作曲法・楽器操作術を聴きつつ、目前の聴衆への幸せ提供がどうあるべきか真剣に考え込んだ。
とにかくお客のほとんどには幸せな午後であった。

★30日(土)夜。今年は主として予算上の理由から野外公演を2回に限り、8月末、土日の夜の快晴を祈るばかりであった。この日は特にインドネシア・バリ島の巨大竹の楽器群ジェゴグのアルソア森羅ホールへの搬入問題と、森羅で収容がきつい400枚以上出ているチケットの処理問題が重くのしかかっていたので、11時の決定が30分も伸びた。しかしどの予報も好転せず、半分諦めの境地で室内にシフトするしかなかった。
私は午後のコンサートを見守る必要から、リハーサルには立ち会えなかったが、5時ころ森羅ホールに駆けつけたら、ジェゴグ一式が、背景の池を背負った舞台下手奥にきちんと鎮座ましましているのに驚かされた。設計図では判断できなかった巨大竹の一本一本が、なんとかエレベーターに乗ったそうで、むしろ派手な舞台装置を得て、コンサートそのものはゴージャスに行われる喜びが感じられた。問題はお客さんで、有料客は全部ホールに収容し、招待客の大部分が立ち見や別部屋のTV画面での鑑賞になってしまった。本当に申し訳ない。
コンサートはバリ島ジェゴグ芸の正統な継承者である名古屋音大卒業生を中心とするスカル サクラ15名(主宰:栗原幸江)で始まり、昨年と同じレパートリーながら、豪快極まるダイナミックな演奏を繰り広げて聴衆を堪能させた。アンケートではこれを騒音と感じる人も何人かはいるらしい。残念ながらそういう方々に添う体制をHIMFは持ち得ない。バリ島でも感じたことながら、ジェゴグ アンサンブルはまさに宗教そのものである。
続いてアジア アンサンブルのメンバーによる馬頭琴・大三弦・尺八・琵琶(Pipa)、合奏と続くが、プログラム・ディレクターのシズカ楊静が昨年は「月」をテーマだったので、今年は「水」を主題にすると決め、それらに沿った選曲を各ソリストに任せた。しかし、最初の2曲は、必ずしも聴衆を満足させうる一級の作品とは言いがたく、選曲に課題を残した。民族楽器は作品面でまだこういった層の薄さを警戒せねばならない。尺八ソロ「息吹」と琵琶ソロ《江上流韻》は安定した演奏、そして私が選んだマーティー・リーガンのアジア アンサンブルへの旧作”riverrun”の合奏は、榊原徹指揮でよくまとまった演奏を行い、気持ちよく中休みに入れた。
休憩後、残る新筝の出番として木村玲子が選んだのは、チェロのカーシャとのデュエットで、私が1980年に書いた《しおさい》。練習を聞いていた有賀誠門氏がえらく感動して「誰の曲?」と聞いていたほど、所を得た選曲だった。木村の遠くから寄せる自在な波の音型に乗って、ネプチューンのように大きな旋律を弾ききったカーシャは、北杜で2年間ヴォランティアをしていたが、秋からタンザニアに拠点を移す。帰ってくるというが、惜しい! このデュエットと対称的に、シズカ楊静と費堅容が弾いた、次の速いテンポの「劉陽河」は微笑ましかった。二人が互いに慈しみあい、呼吸を測って生みだす至福の時であった。そして、久しぶりに連絡が取れて、喜んで韓国から参加してくれた李周妃の「五面太鼓」。アンケートで沢山の支持を得た痛快なドラミングを私も堪能した。来年からはアジア アンサンブルのメンバーになってもらう約束を交わす。次いで、こちらも来年から音楽祭のスタッフに加わってもらう日本音楽集団の若い作曲家:福嶋頼秀の「沖縄より」は、スカルサクラ以外の今日の出演者全員によるアンサンブルで、福嶋の持ち味なのか軽妙さをも備えてアンケートの支持も多かった。
このコンサートは、企画の途中から加わった人と曲があって盛りだくさんになってしまったが、このコンサートのプロデューサーであるシズカ楊静が書き下ろした”River ? Our Mother”では、スカル サクラが再び加わり、ガラコンサート「アジア夢幻の夜」のフィナーレ。総力での演奏が団円を迎えた後、シズカがコメントし、自然が危険な領域に入ったことを思わせる近年だが、大切な水、母なる河を守って、この地球の永遠を!とのメッセージに暖かい共感が広がる一方で、私は、狭い森羅ホールで2時間数十分間立ちつめた方々、入りきれず別室でTVで見た方々への深いお詫びの情を抑えきれなくなった。本当に申し訳ありませんでした。

★31日(日)夜。8月最後休日の朝は久しぶりに晴れ、今日こそ野外でトリのコンサートが出来る、と携帯の詳しい天気予報を繰り返し見る。「やるぞ!」とスタッフは気負い立っている。赤松の森に囲まれた、よく養生された芝生のスロープには、昨日からキャンドルのプレゼンテーションが設置されて点燈をまつばかり。決行されたら超えてもいいので定員より遥かに多い白い椅子が整然と並べられ、これで今日野外公演が出来なかったら、今年はひどい消化不良に終わってしまう、と心配する。携帯雨レーダーでは夜の雨雲は点に過ぎないので、11時過ぎには正式にゴーサインが出て、照明や音響器具の設営が始まった。
開演時、用意した椅子に余すところはほとんどない状態となり、皆さん嬉しそうに音出しの瞬間を待っている雰囲気だった。モーツァルテウム弦カルのシュランメル作曲「ウイーンはいつもウイーン」を聞きながら「北杜はいつも北杜」と言える伝統形成まで何年待てばいいか、と思いにふける。ボロディンの「夜想曲」からモーツァルト「弦楽四重奏曲第17番―狩り」へとプログラムは順調に進んで、やはりザルツブルク音楽祭を背負う管弦楽団のプリンシパルたち!という雰囲気がありありと客席に見え始めたときポツリ!
これはまずい、でも休憩中に止む雨レーダーの動きだったぞ、と強いて楽観したが、どうも10分経ってもそんな様子にはならず、むしろ雨脚は強まって来た。今年改修が延期されたので、舞台の上屋は後半の交流コンサートの12人の演奏者と楽器をカバーするには少し足りない。リハーサル中に決めた位置に拘っているスタッフを説得して、できる限り奥に椅子を移動。動員されたアルソア社員がレインコートを全聴衆に配り終えたので、降り止むのを待つのは却ってまずいと即断。ただ、私はこの夜はMCなどしないつもりだったが、この条件下では聴衆との意思疎通を臨機応変に図る必要を感じ、マイクを握って第2部開演を定刻に宣言した。
今年の音楽祭招待作曲家ドナルド・ウオマックが,HIMF創立の私の理想に共感して、入魂の思いで書いてくれた“Double Sided”は作曲者の指揮で世界初演が始まった。しかし指揮者は屋根から外れ、おそらく集中するのは極めて困難だったろう。客先の外れで聞きながら、こういう状況下ではシリアスな作風に聴衆の耳を向けさせるのも難しいことを痛感した。海外の野外音楽祭での自分の経験、昨年オープニングに降られた体験は、その状況を織り込んだ自作だったため、難を避けられたと覚えているが、まじめなウオマックさんには申し訳ない思いのほうが先行した。
次の藤田崇文作曲”OTUKOH”に移る間、更に思い切って弦カルセクションを奥に押し込む。「高価な弦楽器が雨に打たれて保証できる力はないので」と、見守るお客さんたちに告げたら、どっと沸いてくれてホッとした。そして本当に救われたのは、藤田の曲がこういったンシチュエーションに極めて強い作風だったことだ。常に途切れないメロディー、聴衆を引っ張れるリズム、安定した厚いオーケストレーション! 私たちの世代が、常に作家としてのレーゾンデーテルに悩み続け、ヨーロッパの先行作曲家たちのスタイルに激しいまでの禁欲を守って壮年期を過ごして来たのと、なんという違いだろう。自分の書く作風に彼は一切の疑いも持っていないのであろうとさえ感じつつ、しかし、私も聴衆も、まんじりともせず雨中で幸せに浸って聞き入ってくれた。勿論、指揮した藤田君の背中は水浸しであったろうことは容易に想像できる。

雨はますます激しくなったが、客席は動かない。これなら最後まで全うできる。舞台は有賀誠門指揮に変わり、彼は自ら打つチョンベの置き場を探して苦労しながら”Spirits 2008”の最初の焔に点火する。これは《巨火》第3部《魂振り》の「アジア アンサンブル+弦カル」ヴァージョンである。弦楽合奏であればベターなのだが、いずれこのスコアでそれは実践できるので、PAのある今回は弦カルで凌ぐ計算であった。藤田作品とはまた別の理由で、雨中の聴衆でも引っ張れる確信はあったし、アンケートにも現実にも「特に第2部はどんどん盛り上がって素晴らしかった」という結果を招来でき、打楽器3人のカデンツァあたりから、芸術監督として、今年の音楽祭を無事終えられる充足感を持ち始めた。お客さんは、最後まで本当に誰一人席を立たなかったそうだ。でもこれらの曲は来年以降きちんとした再演をしたい。

さまざまな悪条件下にありながら八ヶ岳「北杜国際音楽祭」2008を成功裡に終えさせてくださった主催者側、出演者、スタッフ、そして通ってきてくださった聴衆の皆さん、今年こそ本当にありがとうございました。


三木 稔