オペラ《きみを呼ぶ声》


2009年11月 三木稔

10月31日昼と夜の二回、1時間一幕のオペラ《きみを呼ぶ声》の初演が御前崎文化会館で、予想をはるかに超えるレベルで初演されました。静岡国民文化祭に参加するからといって頼まれ、日程的に無理なのと、およそ常識とかけ離れた予算しかなくて、どうやって上演するのだろうと最初は断るつもりだったことはHPにも既に書きましたが、仕事の日程が移動したので引き受け、いわばオペラ入門としても有用で、現在のような不況下でも上演できるオペラを書こうと気持ちを入れ込み、この3月から夏の終わりまでかかって書き上げた、いわば「エコ・オペラ」です。途中で大腸がんの手術と、その後の十二指腸潰瘍の療養で、半ばは病床などで呻吟しつつ書いた、自分も初めての体験満載の作品です。
今年の「北杜国際音楽祭」に招待していた名古屋のGONNAという打楽器グループを率いる、舞台に練達の金子根古さんが演出を引き受けてくれ、彼の紹介で台本は一ツ橋大学教授の武村知子さんが快諾して書いてくれました。NPOから頼まれた指揮の堺武弥さんはヨーロッパで活躍していて、中心スタッフは幸い強力でした。
御前崎町は隣の浜岡町と合併して御前崎市になっている美しい岬の丘に立地していますが、JRの駅からバスを乗り継いで1時間もかかる交通不便の人口1万2千人、地元の人が「ど田舎」と称している地の果てのようなところ。静岡国文祭と言っても県や市でなく、ほとんどノウハウを知らないままオペラに憧れた14人のNPOメンバー(代表:石原典子)が主催するもので、上演は静岡県在住が多いソプラノ・メゾソプラノ・テノール・バリトンの4人の歌手と地元の女声合唱がピアノ伴奏で歌い、予算からいって正式な立ち稽古などは通常のオペラ公演の何分の一。でもピアニストの落合洋美さんの能力が素晴らしく、歌手では東京で場数を踏んでおられ、私の《春琴抄》にも嘗て出演されたメゾの伊達伸子さんが若い連中の先頭に立って歌も演技も引っ張ってくださった。ヴィジュアルなことは、まさに演出家手作りといった状況で、私が「エコ・オペラ」と名づけたほどのオペラの初演ですから、交通のみならず、直前の練習で確信が生まれるまで私も成果を信じ難く、知人の誰にも聴きに来て、と誘えませんでした。
しかし、NPOの頑張りで地元の人たちを沢山ボランティアに巻き込み、2回の公演ともほぼ満席の聴衆が集まり、手作りのオペラは、ソプラノ役の澪(みお)が入水するシーン辺りから、私は恥ずかしくも涙が止まらず、それは聴衆みんな同じだったそうで、2回で800人くらいの人が感動にうち痴れたのですから、「経費的にも、技術的にもどこの、どんな団体でもとっつける、しかしお客を感動させられるエコ・オペラを書こう」とポリシーを決めて作曲した私にとって、新国での《愛怨》成功と変わらぬ満ち足りた気分で次の日帰京しました。彼らはこのオペラを、三浦環が生まれた御前崎、浜岡が産んだ松本美和子さんというプリマドンナの系譜を持った御前崎市の宝物として歌い継ぎ、日本中のオペラ団体や、沢山の女声合唱団が挙って上演を企画し、全国に広まると確信しています。
私の当初からのアイディアで、舞台前部のエリアで4人のソリストたちは演技しますが、合唱はそのエリアに繋がる紗幕で遮られた後部に位置し、全6場のうち5つのシーンの頭では幻想的にライトが入って前奏曲的にその場の情景を歌います。そして最終第6場は紗幕を落として異次元の合唱がオペラに直接コミットするのですが、そのエンディングをあわせた6章15分の女声合唱組曲《岬・道行》(〈砂丘にて〉〈断崖に〉〈朝の海〉〈千年の森と池〉〈海と山の向こうに〉にオプションの〈竜呼び出しの合唱〉、そして〈銀河へ続く〉)も同時に完成しました。この組曲は「アジア文化賞」授賞式の数日後に関連行事「福岡市民フォーラム」の『三木稔の世界』で、プロ並みのRKB女声合唱団が演奏会形式で立派な仮初演をしました。
ソリストたちのドラマは、起伏に富んだ1時間に収めるため、台本執筆時金子さんを含めて何度もメールでやり取りを繰り返しましたが、最終的に理想的にまとまったと思います。各ソリストにはアリアやそれに準じる歌がドラマティックに、コミックに、リリックに配置できました。
当初は、NPOから数百年の地域事情で綴られた台本案を示されたのですが、それをオペラでやれば衣裳だけでも大変な予算を要し、上演後は訪問者に映像で見せるしか残る保証はないので、公演の冒頭に聞かせる朗読劇に仕立てることを進言し、それはそれで金子さんの改訂台本で演劇的に有意義に上演されました。
オペラでは御前崎にある岬や砂丘、断崖、深い林に囲まれた池などが合唱で描かれ、日本人には誰でも自分たちの風景として連想できるので、この何十年日本中で作られてきた「ご当地オペラ」臭さは一切ありません。ソリストたちは正面の傾斜舞台にわずかに高みを配したスペースを有効に使って、若い恋人たちが深い恋ゆえに悩む姿と、年配の男女のユーモラスな愛が交錯し、「どこまでも届け人の産声、銀河の先のクオークの、またたきよりももっと光れ、この最果ての岬で」と大団円に至ります。
早く皆さんにお見せ、お聞かせしたいエコ・オペラです。きっと清澄なエコーが返ってくると信じています。
往復、家内と交替で運転(私は往復で200キロ程度)しながら車で行って来ましたが、帰宅後も無事元気でいます。ご報告まで。


三木 稔