去る6月5日、作曲:三木稔、台本:瀬戸内寂聴によるグランドオペラ《愛怨》がドイツの大学都市ハイデルベルクのハイデルベルク市劇場で初演された。これだけなら、既に160余の海外公演を成功させ、オペラのみに関してさえ、40もの海外劇場シーズン上演経験のある三木氏の経歴(他の三作はオリジナルに書かれた英語・ドイツ語版で上演)としては、ニュースにならないかもしれない。しかし今回は違った。《愛怨》は日本語で歌われたのである。
邦人作品オペラが国外で上演され始めてもうすぐ半世紀になろうとしている。が、今まで、欧米の劇場歌手達による日本語上演はただの一度もない。しかも今回はハイデルベルク劇場側からの要望で、日本語公演になったという。終演後のパーティーで、劇場インテンダントのシュプーラー氏は言った。
「私達は最初からこの《愛怨》を日本語で歌うことに疑いを持ったことは一度もなかった。何故なら、日本語で作曲されたこのオペラは、その音楽と日本語に、切っても切れない一体性がある筈だからだ。」
なんという作品に対するリスペクトだろうか。作曲家・指揮者として滞欧四半世紀を越える筆者は知っている。いくら著名作曲家の作品であろうと、ヨーロッパ人は、作品そのものに芸術的価値をみいださないと、全力で取り組まない。取り組めない、と言った方が良いかもしれない。そんな、演奏者やスタッフに見放された作品は、聴いていればすぐわかる。今回、彼らが日本語の発音を学び、その意味するところを理解し、さらに暗譜に至るまで、どれほどの努力を重ねて来た事だろう。そしてその間、作品へのリスペクトの糸は切れずに続いた。それは前述のシュプーラー氏の言葉にも表れている。事実私にも、オーケストラ、指揮者、そして勿論歌手達の熱意と意欲と真剣さに満ちた舞台に映った。
「現代音楽的語法と聴衆との融合」これが、三木氏の音楽作法の集大成ではなかろうか。マンハイマー・モルゲン紙による「作曲者はそのスコアに危険な滑り易いグリッサンドや、不思議な美しいフラッターツンゲ、鋭く発射されるクラスターなど、通常聴かれないような高度な要求を方々にしている。それでも彼の音楽は、常に聴衆が近付けるよう広く配慮がなされているのだ。」を目にして、ふとそう思った。そして、その音楽作法の具現と成功は、「間違いなく、《愛怨》のヨーロッパ初演はハイデルベルク・オペラ劇場史に残るに違いない・・・」で始まるマインツァー・アルゲマイネ紙による長文の絶賛記事を筆頭に、数々の批評記事が証明している。
名唱を聴かせた主演は韓国人ソプラノのヒー・スン・ナー。又、劇中深い感銘を残す中国琵琶ソロ曲を圧倒的な表現力で弾いたのが、中国人演奏家楊静。この日中韓独の歴史的公演に際し、日本の新聞社からの取材は皆無。残念でならない。公演は2月以来8回全て完売であったという。知らない筈はなかったと思うのだが。
帰国後三木氏は、オペラ《幸せのパゴダ》のオーケストレーションを病をおして完成させた。これで彼の《日本史オペラ連作》は、九連作になる。同一テーマによるfull-lengthのオペラ連作はワーグナーの指輪四作しかなく、これは大変な記録である。是非これらの日本語による海外上演の実現を切に願っている。
【注】この原稿は、かつて芥川・黛さんたちが会長時代に私が副会長をしていた「日本作曲家協議会」会報宛に、ウイーンで長く作曲・指揮で活躍中の森本恭正氏が投稿され、私に回送されたものです。 三木