《箏のロマンス》


長年の友人で、私が岡山にあった旧制六高理科の学生だった青春時代、彼女はその六高を囲む道沿いに住み、後に、六高とも近く仲のいい山陽高女に通っていたという砂崎知子さんから、2010年11月15日に国立小劇場で行われる宮城合奏団40周年記念演奏会のため、箏を中心とした新作を書いて欲しいと頼まれた。 40周年という節目の委嘱は私のように経歴の多い作曲家が必要なのだそうだ。ならば、と私は「雅び」の姿勢で全曲を通す、いわば《花凛》と同じ意識というか姿勢に基づき、箏に始まって三味線・尺八・小鼓が次々に加わる起承転結の構成を持った4楽章の《箏のロマンス》の作曲で応えた。
 今回の委嘱を受けたのは09年の秋だったが、前にやはり砂崎さんを通した岡山三曲協会からの委嘱で《瀬戸内夜曲》というメロディックで、ノスタルジックでもある箏と尺八の作品を書いている私は、その年の宮城合奏団の演奏会をじっくり聞かせていただき、流石といえる構成メンバーの玄人芸を生かせるというか、任せられるレヴェルの高い作品の完成を心がけた。箏だけの《朝の歩み》、三味線が加わる《昼の象(かたち)》、更に尺八2パートの加わる《夕の訪れ》、最後に小鼓が参加する《夜の宴(うたげ)》という内容で、3月には一旦ラフに完成し、《愛怨》ドイツ初演や、6月末の『三木稔、日本史オペラ9連作』の完成の後、改めて推敲・清書しつつ7月25日に《箏のロマンス》は完成した。
 私の指定調弦にちょっと無理があったのと、リハーサルのスケジュール作成の上で間が空く難点があって、わき目もふらず本番に向かって盛り上げるのは難しかったように思えたが、この道のリーダーたちの演奏は安定し、初演から少なくとも無難なリアクションが得られると私自身は考えていた。ところが期待して聞きに来てくれた高レベルの7〜8人の知人たちが、押しなべて再演で評価をしたいから曲を直したりしないで欲しい。是非もう一度聞きたい、と積極的に言ってきた。当面、迂闊だった調弦指定の変更だけをしながら、私は熟慮した。この作品は、今回の合奏団の人数での演奏では、少なくとも初演では絶対に指揮者を立てるべきだ。でなければ、各パート一人ずつの完全室内楽扱いで、個人芸の、自由な絡み合いが発揮できるようにすべきだったと。砂崎さん、本当に申し訳なかった。早くからそういう相談をじっくりすべきでした。スコアに【注】を書き込みながら、あの友人たちが必ず聞きに来る再演を、私も心から期待している。それまで健康でいなくちゃ。


三木 稔