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三木稔 オペラ日本史連作 作品紹介

静と義経 オペラ全3幕
作曲年◆1993年
作・台本◆なかにし礼
時と場所◆12世紀、吉野山・鎌倉・平泉。
関連する当時の代表的芸能◆今様、声明

ストーリー
 頼朝方に追われて雪の吉野山を越えようとする義経一行。自分の子を身ごもっている静を京に帰そうとする義経。泣く泣く一行から離れて山を下りる静は案内人たちに財宝を奪われ、その身も犯される。鎌倉に送られた静は、歌や舞で賑わう鶴岡八幡宮の境内で白拍子として歌い舞うが、頼朝の不興を買い、政子や重臣たちのとりなしも空しく、生れた子が若君ならば由比ヶ浜の海に沈めると決められる。若君が生れ、引き取りに来た安達清経は役目を嘆きつつ、静の母、磯の禅師の手から赤子を奪い去る。空しい静の子守唄に衣川で死ぬ義経たちがだぶる。頼朝に仕向けられて義経を裏切った藤原泰衡、しかし源氏もすでに北條に動かされている。そんなショックに頼朝の娘大姫が死ぬ。都にも平泉にも、そして鎌倉にも住む場のない静は、いつも春、いつも青空の地への、愛するわが君との《愛の旅立ち》を絶唱して自害して果てる。 武士が権力を握ったこの時代を象徴する多くの人物を登用し、大衆を惹きつけられる絢爛たるグランドオペラとして創造された。

登場人物◆静(Sop)、義経(Ten)、頼朝(Bar)、弁慶(B-Bar)、磯の禅師(M-Sop), 政子(Sop)、大姫(Sop)、梶原景時(Ten)、和田義盛(Ten)、大江広元(B-Bar)、佐藤忠信(Bar)、伊勢三郎(Ten)、片岡経春(Bar)、堀の藤次(Bar)、その妻(Alt)、安達清経(Ten)と混声合唱=白拍子たち、群集、大道芸人たち、小舎人、道案内など
楽器編成◆オーケストラ(3.3.3.3-4.3.3.1-3Perc-Str)と新箏(21絃),小鼓
音楽総時間◆2時間15分
アリアなど◆義経+静《生きて再び》、経春+弁慶+三郎+忠信+義経+静《わけもなく》、オーケストラ《吉野哀歌》、静《私は巫女》、混声合唱《このごろ京に流行るもの》、《遊びをせんとや》、女声合唱《わが恋は》、静《賎のおだまき》、静+堀の藤次夫妻+三郎+経春+弁慶+義経《静の子守唄》、磯の禅師《都へ帰りましょう》、静《二つに一つ》、頼朝《悪は滅んだ》、静《愛の旅立ち》
委嘱初演者◆鎌倉芸術館(開館記念)
初演◆1993年(4ステージ)
静:塩田美奈子・宇佐美瑠璃、義経:錦織健、頼朝:平野忠彦・栗林義信、弁慶:佐藤征一郎、磯の禅師:郡愛子、梶原景時:丹羽勝海 ほか
指揮:飯森範親、東京交響楽団、鎌倉芸術館オペラ合唱団
新箏(21絃):山田明美、小鼓:高橋明邦、
演出:なかにし礼、美術:堀尾幸男、振付:小井戸秀宅、照明・勝柴次朗
初演後、94年に演奏会形式で上演

作曲者ノート
 《ワカヒメ》の稽古中、鎌倉芸術館芸術監督に就任予定のなかにし氏から、93年秋の開館記念オペラ《静と義経》の作曲を依頼された。大きなオペラはほぼ5年に一つのペースで書いてきた私だし、まずは古代の三部作を思い描いてもいた。また、92年中に3つのオーケストラ曲を書かなければならない事情も説明して、到底間に合わないと固辞したが、どうしてもと説得され、最終的には受諾してしまった。新作は中世題材で、当時の流行歌というべき「梁塵秘抄」を取り込む部分もあり、今様や声明と関係付けられそうで、様式的には私の望む内容で申し分なかった。なかにし礼台本のグランドオペラ《静と義経》は、常に、作曲が間に合わぬのではないか、とのプレッシャーと苦闘しながら、93年秋口に作曲を無事終えることが出来、なかにし演出・飯森指揮で11月の初演を成功裏に果たした。タイトルロールは静が塩田美奈子・宇佐美瑠璃、義経が錦織健で、多数の著名な歌手たちに役が与えられ、絢爛豪華なステージが現出した。
 切り詰めた作曲期間にも関わらず《静と義経》も、精緻に書き上げることができた。ここまで書いてきたオペラは、音楽時間正味2時間から2時間40分を要する。フルスコアとボーカルスコアを合わせると1千頁に近い。オペラ作曲は、知的労働として、最も肉体を酷使する分野といわねばなるまい。にもかかわらず推敲を欠くことなく、反対に独りよがりになることもなく、一般市民に愛され、再演を最も望まれたオペラ《静と義経》が書けたことを私は一種誇りに思っている。
 ジャパン・タイムズ紙の日本をよく知るアメリカ人の批評で「日本の音楽劇で、この終幕のアリアの本当に純粋な美しさと比較できるものはかつてなく、西洋のレパートリーの中で較べられ得るアリアもごく僅か、大力作といえよう。《静と義経》は、オペラのあるべき全て、すなわち、悲劇的で、華々しく、感銘的で、永遠性があり、そしてポピュラー性さえ備えた愛へのオマージュである」とまで書かれ、一般聴衆や出演者から再演の声が最も強く多く続いているこのオペラが、実は再演すらされていない。その理由の一つが、交替した鎌倉市長が「芸術館反対」を旗印にして当選したことにあるとは、オペラの1セリフを借りて言うなら「この世は何たる地獄であろうか」。




三木 稔