これはハイデルベルク劇場が《愛怨》初演の初期新聞評を纏めて配信したものです。
オペラ《愛怨》 ハイデルベルグ・オペラ・テントでスタンディング・オヴェイション
原語で上演された日本の愛のオペラ、ヨーロッパ初演で大成功
日本の作曲家三木稔のオペラ《愛怨》のヨーロッパ初演は聴衆を感動で満たし、歌手とオーケストラによるすばらしい上演は、官能的と記述するのが適切なほどのオペラ体験を生み出した。マインツ・アルゲマイネ紙の記事を引用すれば:
Mainzer Allgemeine Zeitung (2月23日) Von Ludwig Steinbach筆
表題:美しく、清明で、表現力に富んだ
「間違いなく、《愛怨》のヨーロッパ初演はハイデルベルグ・オペラ劇場の劇場史に残るに違いない。音楽自体も、それを歌う歌手たちも、各シーンも、全く文句の付けようが無い完璧さであった。三木稔は今日の世界で最も優れた音の創造者の一人である。」
ハイデルベルグ劇場はかなり大胆な冒険をした。つまり日本の作曲家のオペラを原語で上演目録に入れると言う冒険である。しかしこれほどの聴衆の熱い反応をみれば、そこに至までに出演者やスタッフたちが重ねてきた日本語との辛い格闘も努力も報いられたと言わねばならない。
演出家は若い日系ドイツ人のネリー・ダンカー、この人はかの有名なハンス・ノイエンフェルスの弟子である。彼女は美術・衣装デザイナーのアンドレアス・アオエルバッハの協力により、魅力的なアジアの雰囲気を持った舞台を造り上げた。台本作者の瀬戸内寂聴は日本の高名な女性作家である。彼女は仏教の尼僧であり、また平和活動家でもあり、さらには日本で最高の権威ある文学賞(文化勲章)の受賞者でもある。三木稔と寂聴は歴史上実在とされる人物をもとに架空の人物像を造りあげた。物語は8世紀の日本(と唐の王妃の琵琶)秘曲を巡る壮大なロマンスである。三木はこの作品をもって、彼の日本史オペラ9連作(《愛怨》完成当時は8連作)の終結とした。三木稔は現代日本の作曲家の重鎮の一人である。
一番目と二番目の愛の物語において一人二役を演じたへ・スン・ナは轟々たる喝采の嵐を浴びた。美しく澄んだ彼女のソプラノはリブレットの隅々まで深く染み込み、いつまでも耳から離れない。大野浄人を歌った若手韓国人歌手ビヨン・ナ・フワンの力強く且つ感受性に富んだテノールとへ・スン・ナのソプラノが交差して醸し出す張りつめた歌声に、聴衆は完全に圧倒された。さらにヤン・シュヴァイガー指揮によるオペラ合唱団のすばらしさにも特に喝采を送りたい。
第三幕の楊静による中国琵琶の演奏は、又もう一つのハイライトであった。若き中国女性演奏家、楊静。彼女は深い歴史を重ねてきたこの撥弦楽器の、世界的にみて最高の、最も貴重な演奏者である。楊静がソロで演奏する独特で類い稀な秘曲、その異国的な音の一つ一つを捉えようと聴衆はみな固唾を飲んだ。
ディートガー・ホルム指揮下のハイデルベルグ・フィルハーモニック・オーケストラは、西洋のオーケストラトーンと極東の音楽伝統の間を橋渡すフル・スコアの、色彩に富んだ精密な作品の豊かさを十二分に聴衆に伝えた。
《愛怨》の世界初演は2006年東京の新国立劇場で行われた。今回ハイデルベルクにおける上演は、新国立劇場の協力を得て実現した。ハイデルベルグ・オペラ劇場はインテンダントのペーター・シュプーラーのもと、毎年、二番目の演目に最も優れたオペラの初演を行うことを基本方針としてきた。以前の演目を見てみると、ハンス・ゼンダーの「ヨセフ親方」、ジョン・アダムスの「花の咲く木」、ハンス・ウエルナー・ヘンチェの「フィードラ」等、これらはすべて成功し好評であった。《愛怨》の成功は、こうした試みをヨーロッパ内の作品だけに限定する必要がないことの証明となった。
ハイデルベルグの初日には、ベルリンの日本大使館や、ケルンの日本文化会館の代表たち、さらにはハイデルベルグ市長のドクター・エッカート・ビュルツナー、ドクター・ヨアヒム・ゲルナー文化大臣、そして多くのアジアからの来賓が来られた。このことにより、ハイデルベルグと日本の関係は今後さらに豊かに、友好的に、深い理解をもったものになるであろう。オペラ《愛怨》は8回(2月20日、25日、27日を終えて、あと3月25日木曜日、4月19日月曜日、4月27日火曜日、5月14日金曜日、6月5日土曜日)ハイデルベルグ・オペラ・テントで上演される。
さらにいくつかの記事から
Rhine Necker Newspaper
ハイデルベルグにおける日本オペラ初演の成功に賛辞を呈したい。双子の姉妹、桜子と柳玲の二役を演じたヘ・スン・ナは、ただただこの世のものとも思えぬ素晴らしさであった。若手ソプラノである彼女のデヴューはハイデルベルグでの蝶々夫人役であったが、今回は、その完璧な高音の美しさとしなやかなリリシズムで聴衆を圧倒した。うってつけの配役であった。中国琵琶のヴィルトゥオーザ、楊静の名演奏も特筆しなくてはならない。この完成された若き演奏家は、あるときはオーケストラの中で、又あるときにはソロで演奏したが、その素晴らしさに、聴衆は思わずほとばしるような喝采を浴びせかけた。
(ライン・ネッカー紙)
Opernnetz
途方もなく複雑な仕事に挑戦したハイデルベルグ劇場の方々に心より敬意を表したい。遥か極東の世界のコンセプトの中に分け入って、その本質的なるもの、意味するものに的をしぼる。この野心的な賭けに勝利はあった。合唱が素晴らしかった。ディートガー・ホルムの指揮は、深い共感に裏打ちされた厳しい強さがあった。聴衆はすべてに亘って調和された演奏の素晴らしさに心奪われた。
(オぺルンネッツ)
Mannheimer Morgen
作曲者はそのスコアに、危険な滑りやすいglissando、不思議な美しいflatterzunge、鋭く発射されるようなcrusterなど、高い次元での要求を方々にしている。それでも彼の音楽は、常に聴衆が近づけるよう広く配慮がなされている。
(マンハイマー・モルゲン紙)
Content Stuttgarter Nachrichten (2月23日) Von Susanne Benda
表題:秘曲を聴くものは死なねばならぬ
日本の作曲家三木稔は、遥かな響きを持つ彼の故国のハーモニーや楽器(中国琵琶)の音色と、後期ロマン派以来の大オーケストラ編成の感情を揺さぶる世界とを結び付けようと試みた。オペラ《愛怨》の日本語による(ドイツ語字幕)ドイツ初演で、聴衆は極東の才能の風変わりで面白い訴えに度肝を抜かれた。特に、いわば(ゲーテの)「西東詩集」(中略)のように、三木稔の響きにおける多種多様な音楽的語法を駆使した《愛怨》の記憶は、ヨーロッパの聴衆に忘れ難く残るであろう。
www.Opernetz.de (2月21日) Eckhard Britsch
作曲者は、彼のオペラのストーリーに対するに、音響における特別な精妙さを創造するために、またこの上なく上質のドラマツルギーを構築するために、彼の故国の伝統と西洋の要素が出会って交差する独特な美しさをもった音楽を書いた。すなわち、三木の作品で彼がより大きな形式を構成する材料として、小さなパターンを積み重ねるような場合、音楽は常に聴衆が予期しない逆の方向に発展していく。
三木稔は歌手たちに優しい。彼は歌手たちが歌いやすく、そして彼らの声を非常に効果的に聞かせるように旋律を書く。
(インターネット通信)
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