新国立劇場委嘱のオペラ《愛怨》世界初演が無事終わった。それは「三木稔、日本史オペラ8連作」の完成を意味する。連作中《あだ》《じょうるり》《源氏物語》という英語を上演第一言語として作曲したオペラそれぞれが、欧米で最高度に受容された体験が自信となって、世界に例のないオペラ連作作曲という重く厳しい作業に耐えてこられたし、《愛怨》作品そのものの出来については100%の確信を持っていた。
しかし1997年にオープンした新国立劇場での日本人作曲家の初演オペラの決して明るくない受容史を知っているので、ブラボーに勝るブーイングの覚悟も当然必要であった。また、日本人作品のみならず、年間11本の新国主催オペラの多くが近年集客に苦しんでいるという情報も心配なことであった。
でも幸いそういった予測は《愛怨》には当てはまらなかった。勿論「瀬戸内寂聴80才で初のオペラ台本」とマスコミが煽ってくれたことを主因に、いくらかは「三木稔、日本史オペラ8連作完成」が報道しやすかったこともあり、新国の広報も営業も大変頑張ってくれた。聴衆動員について言えば、私たち関係者にも特別招待や値引きなどなく、劇場運営上の招待等を除く有料入場者率が84%という記録的な成績で1800席のオペラ劇場は3夜とも満杯であった。気になる客席の反応だが、ブラボーは毎夜激しく飛び交ったが、ブーイングは2夜目に演出に対して一声飛んだだけだったそうだ。いつもオペラは難しいと感じていたような人たちからも《愛怨》はとてもよく判った、楽しんだ、感動した、涙したなどと、終演直後に本気で告白された関係者も多く、またその度合いが大変高かったと、目を輝かして喜び合っていたのが印象的であった。
《愛怨》初演を見られた方々から、私もたくさんメールやお手紙を頂いた。最初に「新国立劇場の創作オペラが初めて熱く燃えましたね。三木さんの33年のオペラ集大成が今日稔ったと、心から乾杯します」とメールを下さったのは、いわば私の「歌座」などと競合する、あるオペラ団体のリーダーである演出家だった。
オペラ《愛怨》が殆ど全ての人に満足感を与えた第一の理由は、言葉も音楽もたいていの日本人に理解ができたことにあろう。瀬戸内寂聴さんの文体がオペラに適すると考えて台本をお願いしたことが正解だったと私は満足している。先生のご多忙で、後半私の仕事が多くなったが、私は、オペラは作曲段階であらゆる角度から工夫をこらすのが当然と考えている。同じ長さでも、内容表現に通常の演劇の倍以上時間を喰うオペラで、人間やドラマを深く書き込む特有のノウハウを生かす立体的な配慮ができ、私にとっては逆に幸運であった。また、今まではホールに不備があったり、歌手の発音のクリア度が足りなくて泣かされることがままあったが、今回は新国立劇場オペラ劇場の抜群の音響条件に加えて、劇場付きの技術者たちがまことに巧妙にバランスをとってくれたと思う。加えて、日本語でも字幕をつける方式が、内容を知られていない新しいオペラでは必須であることも再確認できた。これらが、オペラはいつも言葉がわからないという諦めのような感情を払拭し、宿命的なフラストレーションを解消したのであろう。今後のチケット売りにどれほど助けになることだろう!
作曲上では、ちょっと専門的になるが、私の大きな作品の独特な構成原理であるIDセリー(Identity series)を各主役の呼び名に適用し、歌にもオケにも活用して劇進行理解の隠し味とする工夫や、奈良=故郷のライトモチーフである「小序曲」の親近感、浄人の使命観と碁の勝負のモチーフである「間奏曲」のひたすら前進する爽快感などが、奏者や聴衆を知らず知らずの間にストーリー中の人間になったような気分にさせ、かつ全曲の劇性を万全に構築でき得たと思っている。もっとも、これらは私の大オペラでは常に設計図であるスコアに隠してあるので、《愛怨》以外のオペラでも新国で上演すれば素晴らしい劇場構造と上演システム、そしてスタッフ・キャストを含めた技術陣のサポートで、今回同様の完成度を期待できると確信した。少なくとも今までの各オペラ上演時の倍の出来上がりになり、前に見聞した聴衆はきっと一様に驚くに違いない。
メイン・キャストはAB2組あって、練習時間を削がれる心配をしたが、リハーサル期間を通して、みんな意気に感じてやってくれた。日本にも大変に高い能力のオペラ歌手たちが育ってきて来たと感動するケースが多かった。スタッフについても同様だが、私の立場からこの場で個々に触れることは差し控える。
《愛怨》は《ワカヒメ》《静と義経》同様3管編成のオーケストラだが、16型の弦のフル編成を劇場が受け入れてくれたので、さすがの新国オペラ劇場のピットも満杯であった。ワーグナー同様にピットを一杯に下げ、オケが心置きなく私の緻密で豪快に鳴らしたオーケストレーションを楽しみながら演奏してくれたことで、全ての聴衆が腹にずっしりと大管弦楽の重量感や、時にスピードを持った緊迫感を感じ得たはずである。今までのオペラでは今回同様の働きを書き込んでいても、殆どのホールのピットでは目一杯鳴らせなかった。新国はいい。本当に素晴らしい。
《琵琶秘曲》は皆さんが極度の集中をして聴いたという。専門家も含め、殆ど全ての人が感動の最初に挙げている。民族楽器のソロを7分も舞台上で聞かせるオペラなど歴史上なかったと思うが、勿論それを可能にする手段を作曲当初から考え続けたし、琵琶ソリストがピットの中でオケと協奏した巧妙な演奏も無意識に効果しているはずある。「揚静は天才だ、ハートを秘めた真の音楽家だ」と書いてきたオペラ専門家がいる。最終日の秘曲演奏の後半で糸巻きが緩む事故が発生したが、歴史的にも国際的にも琵琶の第1人者と私が信じている楊静の高度な能力を、この大舞台で広く紹介できたと思う。オペラ《愛怨》の着想は彼女の発言からだったこともあり、「アジア」をライフワークとする作曲者としての義務を果たせたと確信する。
原台本に殆どなかった合唱だが、舞台上の彼らの位置や動きを想定しながら、私のノウハウ一杯に使って書き足した。小さな役を、各自がソロ歌手である新国の合唱メンバーにいろいろと分け与えたので意気に感じてくれ、台本に歌詞がないのを逆手にとって、ハミングやボーカリーズの声の芝居で裏や袖から囃し立てたり、主役たちの言葉を合唱が強調することで、それぞれのシーンでテーマが確然としたはずである。第1幕では、初期仏教という大事な時代性を生かすため「観音経」や声明+雅楽風を合体させた旋律とヘテロフォ二―を楽しみながら、合唱とオケが普通のオペラにない表現で聴衆の耳を引っ張った。
民間楽器の喧騒や弦の進行が南唐の日常性を活性化し、対象的に長安の宮廷の豪華感はこのグランドオペラに特別な風格を強めた。鎖国した日本だけの歴史を追っていると、スケールや感情の起伏が限定されてしまうおそれがあるが、海を越え、東アジアとして捉える視点はグランドオペラという様式にまことにふさわしいホリゾンタルな広がりをもたらし、自然に私の気分をざわめかせてくれた。ヴァーティカルに考えを移しても、唐と大和(や渤海)は、今のアメリカや中国と日本(や韓国)の関係を連想させ、観客を歴史・地理を実践する立体的なプラネタリウム、いや人生劇場に聴衆を連れ込んだはずだ。
繰り返すが、それには容れ物がおおいに作用する。日本史連作の他のオペラ、特に《ワカヒメ》《静と義経》《源氏物語》のようなグランドオペラは、新国でやれば《愛怨》同様、倍も3倍も光るはずである。一つのテーマで8連作という、オペラ史上類のない創造行為に挑んだ私だが、連作の最後をこの劇場で果たし得て、まことに幸せであった。委嘱して下さった当時のチーフプロデューサー、そして全力を挙げてサポートしてくれた劇場の現体制に心から感謝をしたい。これは表面的な社交辞令ではない。これほど自分の新しい作品が劇場やホールとマッチする感覚を持ったのは、この齢にして始めての体験だったと、心からの告白なのである。
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