The Wall Street Journal, Wednesday, July 5, 2000
セントルイス・オペラ劇場25周年記念の催しは、舞台にしろ音楽にしろ非常に高いレベルで、心底楽しむことができた。とりわけ、中心的演し物であった三木稔作曲「源氏物語」の世界初演は稀にみる成功であった。台本は芸術監督も兼ねたコリン・グレアムが、日本の古典、紫式部(1000
A.D)の「源氏物語」からシナリオを起こした。膨大な頁数からなるこの古典小説は、日本の平安時代の宮廷を舞台とし、帝が愛妾に生ませた王子源氏の愛の生涯物語である。原作は複雑な綴れ織りの如き、感覚的且つ詩的な仄めかしの恋模様であるが、コリン・グレアムは丁寧に行間を探り、西洋的でオペラ的なドラマの流れを構築した。
源氏(メル・ウルリッチ)は完璧な女性を求め求めつつ、その姿を父王の愛妾、藤壷に、はてまた幼い紫(藤壷の姪)の中に見出す。この二人の女が源氏にとって重い意味をもつこと、さらに二人の類似を強調する必要もあって、エリザベス・コミュウ(ソプラノ)が一人二役を演じた。源氏に愛されない妻の葵を演じたのはジェシカ・ミラー。さらに源氏を追い詰める二人の女。一人は世継ぎの王子の生みの親、弘徽殿(ジョセフ・ゲイヤー)。彼女は源氏を都から追放する。もう一人は嫉妬に狂う愛人六条御息所(チェリル・エヴァンズ)。彼女は葵、藤壷、紫にとり憑き、はては殺してしまうという筋書きである。
三木の書いた音楽は雰囲気に満ちた傑作である。西洋音楽の様式であっても、ドビッシーやブリテンがそうであったように、移ろい易いたおやかさが全体に溢れ、古代の詩情ある原典にまことに忠実に添いながら現代作品として完成させている。日本特有の仕草も、彷徨うフルートの曲調の如く、音楽という織物の中に縫い目も見せずに織り込まれ、目障りな色合いを微塵も感じさせない。木村玲子の筝と、楊静の琵琶、といった伝統楽器を使った音楽も絶妙で、特殊な役割を確実に果たしていた。自ずと話の筋が分かるコリン・グレアムの職人業ともいうべき台本の言葉は、明瞭にドラマティックに旋律化されている。六条の激しい怒りは、まことヴィルチュオーゾとして処理され、少人数のシーンはあくまで繊細に、合唱を伴う大きなシーンはくっきりと際立つ。指揮のスチュワート・ベッドフォードとオーケストラ、歌手のアンドリュウ・ウエンチェル、リチャード・トロクセル、カールトン・チェンバーズ、エリック・ジョーダン等、全員が見事な出来栄えであった。
舞台美術の朝倉摂は目が覚めるような黄金の屏風ときらびやかな平安時代の宮廷衣装をデザインし、女御らの長袴は足元に優雅に流れて裾を引いた。トム・ワトソンは時代物の鬘を、女には腰まで流れる黒髪、男には頭の天辺に巾子を結い上げた。舞台に設えられた回り舞台は、場面場面の変化に効を奏した。コリン・グレアムの数々の工夫をこらした舞台には、振り付けの尾上菊紫郎によるこまかく行き届いた所作の指導が加わった。能や歌舞伎の役者さえ、習得するには何年もかかると云う様式化された動作。それをアメリカ人の歌い手たち、わけてもウルリッチとエヴァンズが、自らの動きとして取り入れるには、並大抵の努力ではなかった筈である。
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