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日本音楽集団(Pro Musica Nipponia)
三木稔は1963年の《くるだんど》初演以来、日本の全ての楽器による新しい運動体の創立を呼びかけ、1964年に14人でスタートしたその組織を「日本音楽集団」と命名した。三木は、1984年に辞するまでの20年間、創造・演奏活動を軌道に乗せるため、作曲だけでなく音楽監督として全力を挙げ、国内だけでなく1272年以来13次・百数十回に上る海外公演をプロデュースして邦楽器の国際化に努めた。その大きな実りの一つが1970年日本コロムビアが制作した4枚組LP「日本音楽集団による三木稔の音楽」で, 同年の文化庁芸術祭大賞を受賞した。また1978年の世界一周公演の年には音楽之友社賞を受賞。1981年ライプチッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団命名200年記念に委嘱された《急の曲》Symphony for Two Worldsは、初演以来集団と世界各地のオーケストラで数十回に上る上演が継続され、1994年にはクルトマズア率いるニューヨークフィルハーモニックと日本音楽集団によって、そのアメリカ初演が行なわれている。《急の曲》によって三木のライフワークの一つである、邦楽器と西洋オーケストラを結ぶ《鳳凰三連Eurasian Trilogy》(《序の曲》《破の曲》《急の曲》)が完成した。 84年以降も、88年アメリカ公演、89年フランス公演、94年春アデレードフェスティバル招待公演、 94年秋アメリカ公演などの音楽監督を務め、三木作品は常時定期演奏会・ツアー公演などの曲目となり、CD録音も多い。94年の30周年記念第136回定期や95年の第139回定期では三木作品を特集、特に後者は「戦後50年、人と平和のために〜三木作品による」と銘打って三木の活動のポリシーを浮き彫りにした。 三木がこれまで作曲した6人以上の邦楽器合奏作品の主なものは次ぎのとうり。
上記作品の楽譜の殆どは日本音楽集団事務所にて販売。 |
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