練習が進み、歌手の立稽古に加えてオーケストラのリハーサル、装置・衣装などがそれぞれの問題点を克服しながら舞台での稽古に向かって驀進していく。
このスペースにオペラの全ては到底書ききれないので、音楽に絞って初演の模様をお伝えしよう。初日の半月前、歌手たちはもう勝手にさせてもいいが、オケが私の独特の書法を理解し充分な表現ができるようになるには、ギリギリの時間しかない。その練習と並行して、6月4日劇場でピアノを使っての舞台稽古が始まる。夜は他の3つのオペラの公演を交互にやっており毎日装置を入れ替えての稽古ながら、こんなに早く舞台稽古を始められるなど、かつて日本ではありえなかった。でも劇場機能のせいで、例えば葵の死の場面、加持祈祷する合唱を視覚的に表現できないとか、主として経費節減のため行っている一人二役が聴衆の混乱を招きかねないとか、今回の公演では解決できない問題もはっきりしてきた。
ただ初日・2日目のチケットが3月に完売している状態で、観客動員の心配をしないですむのがなによりありがたい。それに、サポーターたちが入れ替わり立ち代わり練習を見に来て、口を極めて作品を誉めてくれるので心が和む。
第1回オーケストラ・ドレス・リハーサルの日、コリンが「いよいよだね、気持ちを鎮めるのが大変だ」という。400の演出、これが55回目の初演演出という大演出家にしてそうなのだから、歌手たちもナーヴァスで当然だ。この劇場の舞台はスラストステージといって凸型に客席に出っ張っており、オケピットが深く潜って半分しか客席に開いていない。難点はこのオケ自体のバランスだけ。客席に接して位置する琵琶・琴・筝の音量調整もオケと歌手の出来に左右される。でもどうしてか私は極めて平静で困ってしまう。計画から7年、作曲に3年、スコアで言い尽くした満足感がすでにあり、スタッフ・キャストの研鑚とその反応から初演の成功を信じて疑わないせいだろうか。
日本から初演を見に来てくれる大きな2つのツアーが共にフライトのせいで遅れに遅れて心配したがなんとか間に合い、源氏物語千年の歴史の彩りを変えるべきオペラは、日本から遠く離れたセントルイス・オペラ劇場の「清涼殿の場」の雅楽的な清澄な笛で始まった。ゲネプロよりはるかに力強いオケが加わり、朝倉摂さんが描いた絵巻を背に入場した宮廷人たちの合唱賛歌に導かれて、桐壺帝が自らの過去、そして藤壺・光源氏・弘微殿・朱雀・葵たちを紹介する。そしてこのオペラのドラマを左右する六条御息所の霊を象徴する琵琶が劇的に演奏されて、源氏のさまざまなエピソードが始まる。
私のオペラは、歌手を喜ばせなかった20世紀のオペラとしては異端で、慣れればきっと心地よいメロディーに満ち、「現代の奇跡」だなどと驚く識者もいる。反面、19世紀の古典的オペラとは違い、アジアの楽器を含む器楽の劇的表現力をも私独特の方法で倦むことなく開拓してきた。オペラの進行中何度も見廻してみたが、3時間の長丁場、客席は衝かれたように舞台に集中していたと思う。源氏と藤壺の夢のアリア、六条の絶望、頭の中将のややコミックなアリア、そして源氏が紫に出会う予感を歌うアリアは幻想を誘い、オペラからなにかを求めようとする人たちには「まさに夢そのものであった」という。
でも続く場の源氏の悪夢のように、全ての人が好意的であるはずはない。この難しい題材の劇化は、常に批判に晒され、近世以降定着したものはなきに等しい。しかしオペラ「源氏物語」は前記各シーンの後、舞を伴う秋の宴や六条の生霊の出現、弘徽殿の大仰な陰謀と源氏追放、嵐、明石の濡場、藤壺、そして死霊による紫の死、源氏最後のアリアなど、さまざまの展開を経、初演の物凄い緊張の中で大団円を迎えた。カーテンコールはスタンディング・オヴェイション(5夜とも)で迎えられ、舞台裏でコリンは「トライアンフ」と叫び、指揮のスチュアートと3人で感動の抱擁をした。雲一つなく丸い月の微笑む広い芝生での後の宴で、無数の人に揉まれながら私は、初演に関わった人たち、はるばる見に来てくれた日本人を含む好意的な初日の客たちに感謝の想いで一杯であった。同時に、オペラ《源氏物語》はこれからもきっと、美とドラマを求める無数の人たちの夢を満たすに違いないとの確信を持った。
この随想は著書『オペラ《源氏物語》ができるまで』に収録されています
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