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2000.12
憧れて、音楽!
三木 稔
 
 《大地の記憶》世界初演が終わった。11月24日サントリーホール、25日横浜みなとみらいホールで、クルト・マズア指揮の読売日響と「アジアのソリストたち」の演奏はスリリング、だが圧倒的な25分であった。
 20日、読売ランドにある読響練習場でマズアさんの練習が始まった初日、一種のパニック状態が発生した。この段階ではオケも一部のソリストも、私の書法を十分に理解しているとは言えない。《急の曲》を15回も振っているマズアさんにしても、新しいノウハウを織り交ぜた私の新作をスコアだけから読み取るのは至難だったと思う。だが今後演奏する人たちは、初演の録音によって苦もなく理解できようし、後続の作曲者たちも私のノウハウを楽に引き継げよう。
 今まで私と一緒にソロやアンサンブルの訓練を経験してきた尺八・坂田誠山、二十一絃筝・木村玲子などは自分の持ち場を100%果たし、琵琶のシズカ楊静はその迫力に満ちたソロに加えて、慣れない馬頭琴のチ・ブラクさんのカバーまでこなした。ピッチも慣習も西洋とは全く違うバリのガムラン打楽器では、オケをはじめて聞いて怯んでいたイ・スウェントラさんを、共演の栗原幸江さんが庇いつづけて実力を出し切らせた。日毎にマズアさんの指揮は凄みを増し、ゲネプロでも、細かい部分の音楽的向上を図った。練習で一度も全体が通らなかった本番は私にもはじめての体験で、もはや賭けであった。
 それだけにサントリーの初日が見事に完奏された時、すべての関係者は快哉を叫んだ。そこでリラックスした全員はみなとみらいでは、のびのびとお客を楽しませ、私の作品をマスターピースに仕立て上げてくれた。(尚この演奏は日本テレビのBSデジタル放送で1月か2月に見られる。)
 両ホールとも2,000人の大拍手の中、マズアさんに呼び出された私は、年齢的に最後のチャンスと心得、客席から疾走して、階段を使わず片手を着いただけでひらりと舞台に跳び乗った。客席の「ほっ!」というどよめきが気分よかった。こんなことをする馬鹿な作曲家はもちろん他に見たことがない。
 この作品は、私のオーケストラ作品の中で、最も人々に愛される曲の1つになろう。オペラ《源氏物語》や《大地の記憶》に没頭したこの4年間で、私は命を縮めかねないほどの精力を傾けた。満足である。完璧を望むことは私たち創造者の義務であり、本分である。
 音楽を志して以来「憧れ」は私の創作の基本であり続けて来た。美や真理への憧れなくして創造のエネルギーは得られるはずがない。だが先月、この大きな成就と裏腹に、私は私の内面で、今ここに書けない大きな人生の転機を体験した。今後、作品や活動にその変化をどう反映していくのか、自分の真価を問われているように思う。
 今ちょうどオーケストラアジアの今年のツアー中。私の作品は年ごとに少々手を加えて贈る《SOUL(魂)2000》。前半で旧世紀を静に鎮魂し、後半は一転して新世紀での熱い振魂を願う曲相に変わる。私は、とうにその気分で仕事をしてきたが、21世紀は目前。「憧れ」を持った若い才能は必ず私たちを超えて、この愛すべき星の自然を守りながら、人類に真に楽しい芸術やエンターテインメントを与えてくれよう。
 私自身もつい先日、日本の8世紀を舞台に企画中の第八のオペラを、最も望ましい劇場から委嘱作にしたいと提案を受けた。これからの5年間で完成させる予定だが、その時、日本史に沿った稀有のオペラ連作が通貫する。まことに時宜を得た申し出だった。 
 さて、当初は3年程度と思っていたこのエッセイも、オペラ《源氏物語》世界初演も含めることで5年まできた。おかげで《大地の記憶》までカバーできた。振り返ってみれば毎月句点を打つようで、私にとっても意味ある執筆であった。付き合っていただいた読者の皆さん、ありがとうございました。

徳島新聞「音楽随想」原稿より


三木 稔