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2004.1
2004年1月 のメッセージ集

作曲が軌道に乗って、オペラ《愛怨》の#3までのヴォーカルスコアを完成した後、大晦日と正月の数日を膨大な出版楽譜の最終校正に費やさねばならない。日本では35年経っても演奏者数が足りなくて出版できないが、中国の音楽大学で高級教材になっている曲もある通称二十絃筝、実際は21絃の新筝(にいごと)の作品群を、100万人の21絃筝演奏人口を持つ中国の代表的音楽出版社が企画して180ページの「三木稔筝作品集」として4月に出版する。それも各曲日本の二十絃筝での演奏と、中国の古筝演奏家の演奏両方のCD付きという。作業は大変だがこれはきっと流通するだろう。夢が一つ現前する。そういう満足感で元旦の朝日新聞を見ていたら、哲学者の梅原猛さんと評論家の加藤周一さんの対談が目に入った。イラクや自衛隊、経済の現状を踏まえ、これから日本は何を背骨にすえ、どこを目指せばいいのだろうかを語り合う、私が尊敬する最高に知性的な方々の主張なのでむさぼり読んだ。

技術文明を根にした近代主義の国、そして9.11以来国家主義に戻ったアメリカをひたすら追随する日本でなく、国益から言っても国際協調を打ち出し、ヨーロッパがEUを作ったように東アジアの共同体(AU)を作る必要があるという考えは、私の数十年続くポリシーと同じだ。そのためにオーケストラ アジアやアジア アンサンブル、古代の日韓・日中が関わるオペラ創造を推進して、互いに文化共同体の意識を持たせ、東アジアとしての音楽的アイデンティティを産みだしたいと努力しつづけて来た。だがその行動は、音楽的にも、経済的にも、政治的にも想像を絶する困難と無理解に阻まれつつある。残された時間が決して多くない私は、少なくとも自分の作品の上では理想に近づきたい。また、私の「広場創り」の行動規範は残したい。そこで共同作業をするための、かつてなかったタイプの作品を多数用意し、睦みあうための6つもの演奏団体を創設して演奏のノウハウや、広い人間関係を蓄積してあるのだ。

対談の中で、私より半世代上のお二人は「敗戦の時に、戦争をした日本へのものすごい怒りと、日本に対する愛情の両方があった」と述懐されている。あれは、負けた日本人が復讐を一切考えない不思議な戦争であったと思う。パレスチナとイスラエル、アラブと欧米などの永遠に尽きない復讐合戦を見ていると人間に希望など持てなくなるが、東アジアにそのような地獄を持ち込みたくない。このままアメリカ追従で北朝鮮を煽って行くと、このアジアの本来平和愛好の民族が相争わなくてはならなくなる。ごめんである。軍隊による国際貢献を深刻に考えざるをえない時期がきたとしても、国連を通してのみ協力し、最も怖い周辺国の相克は避けねばならない。日米・日韓といったアメリカの腕から手袋のように分岐して操られる軍事同盟を速やかに解消し、NATO型の地域を纏めこんだ同盟を設けるほうがまだ必要悪として赦せる。EUに対してAUなら、EUROに対してASI(お銭!)だ。私が主宰するASIA ENSEMBLEはさしずめASENである。

オペラ《愛怨》を書き進めながら、「愛」と「怨」の相関性をしきりに考える。上記お二人の言われた「愛情」と「怒り」もそうだ。アジアの各国・各民族の間の長い歴史の中で、きっと「愛怨」は大問題として在ったに違いない。私が実践してきた各演奏団体の短い歴史の中でも、入れ込めば入れ込むほど「愛怨」が燃え盛った。今北朝鮮と日本に引き離された人たちはどのような心の綾で生きているのであろうか。このオペラは、そのような人間の問題にも何がしかの回答を用意しなければならない。オペラという大ドラマの音楽には端的にそれらが反映される。

さて、正月だから夢を語ろう。昨秋キーロフオペラが上演したプロコフィエフの《戦争と平和》を感動して見ながら考え込んだのは、復讐を伴った愛国精神に付いてであった。私は外国に対する「怨」から最も遠い稀有の敗戦を体験した日本人として、1945年前後を題材とする20世紀のオペラを痛烈に書きたくなり、NHKホールの客席で神に更なる命を請うた。オペラ《愛怨》によって5世紀から19世紀にいたる日本史オペラ8連作を無事完成させることすらまだ夢に過ぎない身にとって、これは夢の向こうの夢だが、なんだか恐ろしい感情を隠し持って見える防衛庁長官のテレビでの表情など見るほどに、不戦を誓った文化立国日本の作曲家が絶対に残すべき責務と感じはじめたのである。
だが私には20年前にクルト・マズアに約束した、もう一つの夢もある。《鳳凰三連》を超える《地球交響曲》。2000年11月、その第1楽章は《大地の記憶》(25分)として読響・アジア楽器のソリストたち・マズア指揮でサントリーホールにおいて果たした。第2楽章は《風の記憶》(20分)として私の脳裏をしばしば吹き交い、時間と機会さえあればいつでも着手できる。コンサートの後半を占める第3楽章(1時間)は、東洋の民族楽器と西洋オケをバックに、独唱群と合唱が世界を代表する6つの言語で歌う世界最古の平和の詩というとてつもない構想だから、20年前から公表して自分に暗示をかけている。この夢とオペラの夢、神に「命」と「天才」を借りてしか果たせない怪物!、でも、いつもこの体に宿って離れない私のライフワークの終点である。

前回のメッセージに書いた各種の出版作業はそれぞれ重いけれど、どんどん姿をあらわしてきている。オスロのNORSK音楽出版社が準備中の《マリンバ協奏曲》のピアノリダクション新版も予定に加わった。全音楽譜は今年と来年に分けて「三木稔オペラアリア集」を出す。今年の第1集には《春琴抄》《あだ》《じょうるり》《ワカヒメ》のアリアや重唱。ヴォーカルスコアのままだと誰もが弾くとは行かないので、コレペティ(=オペラの練習ピアニスト兼コーチ)の名手たちにピアノ伴奏に直す作業を手伝ってもらっている。これも監修と校正が大変だ。
大日本家庭音楽会の《筝ピース・フォー・ピース》51曲の第1回配本がこの1月になったが、バイエルからソナチネまでの狙いが、年末まで毎月の配本計画に乗って十三絃筝の愛好者に届けられるので、反応がまことに待ちどうしい。中国で出る筝と琵琶の出版楽譜も何らかの方法で日本で買えるよう手を打ちたい。

CDは左のジャケットをズームして見ていただきたい。「三木稔作品選集VII」《琵琶協奏曲》ほかPIPA::シズカ楊静の絶奏を中心とした演奏・録音・装丁とも出色のできである。カメラータ・トウキョウは1月25日に発売する。カメラータのCDは海外にもリリースされるので、ニューヨークのCDショップのMinoru Mikiのボックスから取り出して見るのは悪い気分ではない。

今年は指揮で表の仕事が始まる。10日午後青山劇場、2004都民芸術フェスティバル特別公演でオペラ《隅田川》、12日には徳島邦楽集団の定期で、昨年オペラ作曲開始の直前に駆け込みで書いた新作《ホタルの歌》の初演指揮が続く。1月下旬ハワイで日米修好150周年記念コンサートとして楊静とオーラJが三木作品演奏会、そしてハワイ大学でオペラ《源氏物語》ヴィデオショウとレクチャーを含むコンサートとレクチャー。3月には企画・プロデューサーとして責任の大きい「日中新筝(にいごと)交流コンサート」が、東京では3月9日(火)津田ホールのホール協賛、東京都国際交流協会の助成を得てオーラJ第13回定期演奏会として行なわれ、下旬には竜音公司のプロデュースで北京・上海・香港をツアーする。帰国したころまたこのWhat's Newを改めましょう。
ところで、この企画は二十絃筝発足35周年記念でもある。両手指4本づつに爪をつけて弾く奏法を開発した中国のナンバーワン王中山など、木村玲子はじめ日本の俊秀との交流演奏を是非ご覧あれ。
3月9日の津田ホールでは、私がこの楽器に理想を托し35年前に書いた最初のソロ《天如》から、21絃筝アンサンブルの究極の在り方のモデルと考えた82年の《カシオペア21》まで、主として三木作品でのコンサートとなった。《筝譚詩集第2集》5曲を中国と日本の5人が弾き分ける趣向もきっと楽しんでもらえるだろう。
SARSよ絶対に近寄るな!テロよ鎮まれ!アメリカよ身の程を知れ!小泉政権よ日本はアジアの国ですぞ、地理と歴史、そして真の文化を学び直せ!

三木 稔