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2004.8
2004年8月 のメッセージ集

いやーお約束を大幅に違えてしまった、ごめんなさい。年始に書いた前回のメッセージに次は3月末に書くと明言しているのに、これを書いている今は、東京が酷暑の記録を作った7月を過ぎ、59年ぶりの広島原爆の日である。オペラ《源氏物語》を書くために建てて7年目の夏を迎えている小淵沢の仕事場は、西に延々と続く赤松林に接しているが、7月の蝉の合唱は心なしか例年より piu forte だった。

昨年8月から、私の生活はオペラ第8作《愛怨》の作曲時間をまず確保したうえで回っている。瀬戸内寂聴さんの台本をいただいて作曲がスタートしてから丸1年経った。デッサン(ヴォーカルスコア)ながら第3幕の最初のシーンを書いているから、ほぼ予定の線上にいるといってよい。すでに1時間45分が姿を現した。寂聴さんが超ご多忙のため台本に自分で加筆しつつだが、充実した作曲をこの年齢になってもできることを神に感謝しっぱなしの毎日である。来年の夏はここでオーケストレーションをしている。2006年2月の初演のことは、この10月に発表される。

並行して行われている私の仕事は、メッセージ欄に残されている前回のWhat's Newを是非読み直していただきたい。そこに書いてあるコンサートや出版の予定はすべて完遂した。オペラ大作の作曲の合間に、よくもやったものだ。途中作曲が遅れ始め、相当いらいらしたことも事実だ。1月ハワイ(アジア アンサンブルのコアをなす琵琶=シズカ楊静、新箏=木村玲子、尺八=坂田誠山のトリオの演奏と私のレクチャー)、3月上海・香港(日中新箏交流コンサート、東京でもオーラJ定期で)、4月北京(これは予定してなかった中国の大琵琶コンクールの審査)と海外の仕事も結構こなした。

中国で出版された各180ページもある立派な「三木稔古箏(日本では新箏、共に21絃)作品集」「三木稔琵琶作品集」、これは嬉しかった。前者を日本に輸入販売するために「三木稔、新箏との道行き35年」というA4で60ページの別冊が制作された。内容は楽譜の日本語の解説や三木箏作品全リストにとどまらず、若く優れた音楽評論家、西耕一がたくさんの証拠写真付で、私の発言を引用しつつ著した「三木新箏作品の歩み」という例のないドキュメント・エッセイをメインとする。止まらない創作とプロデュースとは別に、今までいくつもの新しい音楽分野創造のために重ねてきた仕事のアンソロジーを残しておくことも作曲家・プロデューサーとしての自分の責任と考えている。だからいたしかたないのだが、これには予定しなかった結構な時間や経費を投入しなければならなかった。たった千円、是非お求めを! 

箏奏者藤川いずみさんが責任を持って進めてくれている13絃箏作品の出版作業も「家庭音楽会出版部」で毎月続いている。

カメラータ・トウキョウからのCD「三木稔作品選集VII」は主奏するシズカ楊静の能力をフルに聞ける《琵琶協奏曲》《平安音楽絵巻》《東の弧》という近年の3作を収録し、極めて音楽的に受容していただけることを確信している。ジャケットも美しく、私には待ちに待った発売である。この文章の横のボタンから簡単にインターネット・ショッピングできる。便利になったものだ。お店で買うより安く、私も贈答に使っている。

ところで、中国はオペラ《愛怨》と関わるので作曲のための調査も兼ねていたが、箏も琵琶も、人民音楽出版社がそれぞれ上記のチャンスに発売を間に合わせてくれ、両国のソリストたちによる私の作品の演奏が中心だった新箏(にいごと、中国で2百万人が弾く21絃箏)のコンサートは両都市とも千数百人を収容するホールが一杯で、日本側の木村玲子・山田明美とともに熱烈な対応を受け、出版物にも人が群がった。琵琶はコンクールの審査で、中国の若い世代の進歩ぶりがまことに頼もしかったが、CDつきの私の楽譜集をみんながこぞって買っていく様子に老作曲家としては将来の夢をみた。私は他の民族楽器の場合同様いつものように唯一の外国人審査員だったが、中国の審査員たちやスタッフたちと、さまざまな意見交換ができた。

こういう熱い日中交流の現場にいると、今テレビで見るアジア杯サッカーでの日本への大ブーイングには激しい失望を覚える。私は6年前北京で、シズカ楊静が企画中の琵琶とオーケストラによる大イヴェントのための記者会見に出席したことがある。そこで私は逆に、30人近い若いジャーナリストたちに日本に対する忌憚のない意見を英語で求めた。シズカの通訳で戻ってきた彼らの本音は例外なく日本へのブーイングで、彼らが接してきた日本人として三木は信じられない例外だという答えに、私は自分のやれる限界を思って「時間が足りない」と実感した。

日本は、まだ体験者が沢山いる遠くない過去において、中国に忘れがたい暴挙を行っているのだ。わが国の為政者が、およそそのような事実を知らないような施政と外交を続けている現状に、腹立たしい思いをしている日本人は私だけでなく多数いるであろう。もちろん中国側の悪い点に妥協することはない。私は89年のあの忌まわしい事件に《北京祷歌》を書き香港のラジオ局が本土に放送した。アジアは各国で歴史観の調整ができていない。いずれの国にも問題はあり、これからもやるべきことはやる。しかし日本の政治の遅れや無感覚は何とかならないものか!

前回の予定に書いてなかったが、大阪いずみホールがホールオペラとして6月5日に上演した私のオペラ処女作《春琴抄》は、今まで30回もやられた中でも出色の出来だったし、相当前からチケット完売で、関係の皆さん大いに気分をよくされたようだ。釜洞裕子さんはご自分のプロデュース第1号にこのオペラを選び、自ら演じたタイトルロール春琴は、多くの批評で当たり役と褒め称えられている。山下一史指揮・岩田達示演出共にすごい満足を私に与えてくれた。協力のカレッジオペラハウスが専属のオケと合唱を持っていることが、ここに来て大きくものを言っていると思う。東京も見習わなくっちゃあ。

これも紹介が遅れたが、オーラJの女性メンバーが「三味線の王子様」と呼ぶ若い大物ソリスト野澤徹也が「野澤徹也による三木稔・三味線作品集」CDをリリースした。なかなかの評判で売れているという。三味線作品のアンソロジーは私の予定になかったので望外の喜びである。

西耕一プロデュースによるオーラJの第14回定期は7月1日に箏合奏組曲「ホタルの歌」の東京初演を行った。アマチュア合奏団の技術と感性を前提に昨年書いた最新作だが、木村玲子にリードされて、さすがプロという演奏をした。

その木村玲子が9月24日トッパンホールで、《天如》《佐保の曲》《竜田の曲》《東から》《ラプソディー》という、私の重要な新箏ソロ作品を網羅したリサイタルをやってくれる。《箏譚詩集》シリーズと並ぶ、私のシリアスな新箏レパートリーで、これを一人のソリストが一晩で演奏するのは私の夢であった。生きていてよかった!

8月下旬には、7年目に到達したシズカ楊静との琵琶とトークのコンサートが連日のように続く。能楽堂や寺院の野外など、どれもユニークな場所で、また新しい即興や作曲プランが生まれる。彼女の東京リサイタルは11月4日ムジカーザで、それぞれの琵琶作品集の楽譜とCDの中国での出版を記念して特集する。

そして3年目になる「アジア アンサンブル」の初の本格的な東京公演が11月9日。今年後半の私の一番大変なプロデュース仕事だ。津田ホールのホール協賛、アサヒビール芸術文化財団、花王芸術文化財団の助成もいただいている注目のコンサートをして、アジア民族楽器室内楽の粋をお聞かせします。アジア アンサンブルについては、このHPの主宰・関連団体にある項目を書き足したので参考にごらんください。

三木 稔