■さあ《愛怨》ドイツ初演だ!すでにこのHPの別項目にファイルしてある2009年12月のメッセージ集に、《愛怨》が08年の後半にハイデルベルク市劇場の新旧のオペラ監督から、《愛怨》のドイツ初演を切望され、決定するまでの経緯は書いたが、当初彼らが望んだ10〜15回の上演は、さすがのドイツでもこの不況下では許されなかったようだ。しかしこの劇場と契約するオペラ歌手たち、3管編成のオーケストラ、合唱団の人たちは、大変な打ち込み方で稽古を進め、2010年2月20日を初日に、ハイデルベルク市劇場による『三木稔、日本史オペラ連作』第8作《愛怨》のドイツ初演は、2月20, 25, 27日、3月25日、4月19, 27日、5月14日、6月5日の8回の半分が既に終わり、2月の末までに11の批評がポジティヴに出て、既に終った4公演は1, 3, 4回目がソールドアウト、批評が間に合わなくて態度を決められなかった人がいた2回目のみ満席に一寸欠けただけという絶好調だそうだ。
世界初演を体験しているのは中国琵琶のシズカ楊静だけで、指揮:ディートガー・ホルム、演出:ネリー・ダンカー、オペラ監督:ヨッシャ・シャバック、合唱:ハイデルベルク市オペラ合唱団、管弦楽・ハイデルベルク市オーケストラ、他のスタッフ・キャストも全て劇場と契約している人たちだが、ケルンの日本文化会館公演部長のハインツ・ディーター・レーゼさんが初日を見て送ってくれた次のメールを参考にお読みいただきたい。彼は市販のDVDで《愛怨》の内容は熟知している。
★ 親愛なる三木先生
今朝早くハイデルベルグから戻ってまいりました(実は真夜中の2時45分)。とり急ぎ、最初の短いご報告をと、パソコンに向かっています。
初演は大成功でした。(ハイデルベルクは現在3年掛けて劇場を新築中で)、約540席あるテント(Opernzeit)は満席。聴衆は先生のオペラと特別な配置の舞台に強い印象をうけ、大変な喜びようでした。最後の幕が下りた後、カーテンコールは15、6分も続いたほどです。
関係スタッフは実にいい仕事をしました。ディートゥガー・ホルムの指揮のもとオーケストラの演奏は輝きをもった美しさでしたし、合唱も最高、歌い手たちもみな実にすばらしかった。ハイデルベルグのようなこじんまりとした街の小さな劇場では想像もつかないほどの出来ばえでした。
特に韓国人歌手へ・スン・ナが一人二役で演じた桜子と柳玲のすばらしさには、私も驚愕です。ミークス夫人と豊田さん(オケにいる日本人)のご協力で、歌手や合唱の日本語の発音は正確でしたし、ドイツ語の字幕もなかなかの助けになりました。まあ、オリジナルの文脈はかなり短縮され、字幕の出るタイミングも歌とちょっとずれているところもありましたが。しかし全体としては、それは大したことではありません。
言うまでもなく、楊静は演奏者たちの中で「スター」でした、いつものように。
舞台演出(演出ネリー・ダンカー)は、 Opernzeit つまりテントという特殊な条件下でしたから、東京のグランド・オペラ様式とはかなり異なったものとなりました。しかし、そこに沢山のプラスの要素があったのは確かです。まだ確信とまではいきませんが、少なくとも私はそう感じました。聴衆はそれを喜んでいましたから。
インテンダント(劇場支配人)シュプーラー、オベラ監督シャバック、そして関係者全員から、先生によろしく伝えてくださいと申しております
ケルンより
ハインツ・デイター 拝(常俊明子訳)
■ レーゼさんは、出始めた批評の一例として直ぐ後の23日のケルンに近いMainzer Allgemeine Zeitung に出た批評を訳付で送ってくれた。筆者はVon Ludwig Steinbachで、ドイツ語のウムラートを2箇所ここでは書けないが、Schon, klar, gefuhlvollと感動的な批評タイトルがついている。
★ 現在ハイデルベルク市立劇場オぺルンツェルトで上演中の三木稔作曲のオペラ《愛怨》(- To Die for Love -)は、まぎれもなく、ハイデルベルク市立劇場の歴史の1ページに残るであろう。それは、すべて、つまり音楽、歌手、演出のいずれもが完璧な出来栄えの上演だった。今79歳の三木稔は、現代における最も優れた作曲家の一人である。2006年に東京・新国立劇場で世界初演された三木の《愛怨》は必見である。
《愛怨》は、西洋の音楽と東洋の音楽に橋を架けている。《愛怨》では、日本と中国のさまざまな楽器(注:実際は楊静の演奏する中国琵琶とある種の打楽器)が、後期ロマン派を得意とするこの劇場のシンフォニー・オーケストラの豊かさを増強している。
際立っているのは、作品の全体を通して調性が拡大されていることである。三木は決して安易なメロディーは書かない。彼の音楽は美しく、表現力に富み、清澄で、しかも記憶に残る。西洋からの影響は多種多様な自然さを持っている。
きわめて興味深い音楽の融合が、指揮者のディートガー・ホルムと最高の状態のハイデルベルク市オーケストラによって躍動感あふれる洗練された演奏で披露された。聴衆は、初めて聴く絢爛豪華な楽音に接し、文字通り、調性音の波が作り出す陶酔に浸っているように感じた。的確に歌う合唱もすばらしかった。
オペラ《愛怨》は、日本と中国の間で文化交流が活発に行われていた8世紀の唐を舞台に展開する。ここに、三木と寂聴は、中国の玄照皇帝と光貴妃、そして作品の中で架空の英雄・大野浄人をサポートする日本の遣唐使・朝慶など歴史上の人物を用いている。
大野浄人は日本人で、この上もなく美しい琵琶秘曲《愛怨》を中国の宮廷から日本に持ち帰ることを命じられる。浄人は、船の難破を乗り越えて中国南部へと漂着する。そして、囲碁の名手として(食いながら)何としても(長安の)宮廷にまで辿り着かなければならない。浄人はここで、唯一秘曲を知る柳玲と出会う。柳玲は、亡くなった日本人の妻・桜子に不思議なほどよく似ている。だが、それは不思議でもなんでもない。柳玲は桜子の双子の姉妹なのである。そして、浄人は柳玲の信頼(と秘かな愛)を得る。柳玲は、許可なく秘曲を伝授する者には死罪の恐れがあることを知りながら、浄人に高潔な心で秘かに秘曲を伝える。
若手演出家のネリー・ダンカーは、人と人とのつながりを浮き彫りにすることに重点を置いている。登場人物のわざとらしくない素直な演出が効いている。演じるスペースは、平土間席一列目まで達している。オーケストラは、バックの台の上で演奏をする。登場と退場は、しばしば観客の間を通って行われる。作品の心を十分に汲み取っているダンカーの演出の最後には、柳玲と大野浄人の情死が待っている。突然、命が消えかかり、くずおれる二人が起き上がり、愛の賛歌を歌い始める。そして、ワーグナーの「トリスタン」同様、愛と、真の命は、愛し合う者の死により初めて成就するということが明らかになる。
並いる一流の歌い手の中で、中心をなしていたのがHey-Sung Naである。Hey-Sung Naは、ピントの合った、流れるように流麗なソプラノで桜子と柳玲の二役を歌いあげ、観客の心を捉えた。彼女と並び、Byoung Nam Hwangもスタイリッシュで抜群の安定感のテノールで大野浄人役を好演し、その実力を証明した。Byoung Nam Hwangを凌駕していたのがAaron Judischで、Judischは輝きのあるテノールで朝慶を演じた。
■特定のスポンサーや大きな劇場組織も持たない私は、160回もの海外公演を日本音楽集団や新筝のツアーを文化庁や国際交流基金に旅費の助成を仰いでプロデュースしたが、オペラの海外上演は望んでも資金的に無理だった。しかし、2〜3時間を要する本格オペラ8作中5作が、欧米のオペラ劇場の正式シーズンやフェスティバルでの先方の企画で、これで40回も上演されるというのは、欧米の作曲家でも他国では難事であろうことを実現できたことで、幸運に浴したと思っている。いつもなら初日のひと月も前から練習に参加するのだが、この体調ではママならず、3月15日の手術が入ったため、6月5日の最終公演を見るつもりだ。