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三木稔 オペラ日本史連作 作品紹介

源氏物語 オペラ全3幕(英語版・日本語版を並行して作曲)
作曲年◆1999年
原作紫式部
台本
◆Colin Graham(コリン・グレアム)、
日本語版◆常俊明子の文学的翻訳を基に三木稔
時と場所◆10〜11世紀、京都と須磨・明石
関連する当時の芸能◆雅楽

ストーリー
 清涼殿に集う宮廷人たちの治世賛美の合唱を受けて、桐壺帝が正妻の子でない源氏の生い立ちを語る。帝の愛にもかかわらず、母桐壷の面影を追って始まった父帝の愛妃藤壺への禁断の恋は、最初の恋人六条御息所の深い嫉妬に付きまとわれる。ある日、親友頭中将との戯れのうちに憧れの面影、少女紫の住まいにたどり着き、唐突に我が物にしたくなる。六条や父帝、頭中将、そして正妻葵の諌めを夢にまで見ながら、源氏の多情は収まらない。一方、紅葉賀などでの源氏の美しさと芸の素晴らしさは傑出し、帝の最初の女御弘微殿は息子朱雀を立てんと、ことあるごとに悪役振りを発揮する。
 源氏は日々睦まじく紫に筝のレッスンをしたりするが、葵の出産と六条の生霊による葵の死に出会う。朱雀が帝になり、母弘微殿は源氏追放を決める。藤壺は尼になり、須磨のわび住いで源氏は紫との文通のみの蟄居の中、激しい嵐に見舞われ、父帝の幻に導かれて荒れ狂う海上を明石にたどり着く。そして、明石の入道の悲願もあって、紫に詫びつつも明石の姫と結ばれてしまう。朱雀は良心の呵責に耐えられず、弘微殿に逆らって源氏を京に召還する。再会した紫は、藤壺の死を告げる手紙を読む中で、突如六条の死霊に襲われ、あえなく果てる。最愛の紫を失った源氏は全ての気力を失い、仏門に入ろうとするが、藤壺の生んだ冷泉帝の後見として栄光の宮廷の真中に立つ運命を避けられない。光源氏の生涯の栄光と挫折を描き、小説では計れない凝縮された静と動の音楽ドラマが企図され、きらびやかな平安王朝の文化を刻むグランドオペラ。

登場人物◆光源氏(Bar)、桐壺帝(B-Bar)、藤壺(Lirico Sop)、六条御息所(Spinto Sop)、頭中将(Ten)、紫上(Lirico Sop)、少納言(Alto)、葵上(Lirico M-sop)、弘微殿(Coloratura M-Sop)、朱雀帝(Bar)、惟光(Bar)、明石入道(B-Bar)、明石の姫(Sop)、子供時代の源氏と朱雀(黙役)、混声合唱
【注】Standard versionでは藤壺と紫上ほか、幾つかの役柄は兼任可能。
楽器編成◆オーケストラ(2.2.2.2-2.2.2.0-3Perc-Str)と中国琵琶(七弦琴持替)、新箏(21絃)
【注】Grand opera version では雅楽そのものの登場も可能
音楽総時間◆3時間(初演は劇場の都合により2時間40分)
アリアなど◆混声合唱《陽は光り輝き》、源氏+藤壺《ここに夢叶う》、六条《絶望の愛》、頭中将《恋の文》、源氏《面影はいつもただ一人》、源氏+少納言《夢の中で夢に出会ったような》、混声合唱+雅楽(またはオーケストラ)《我ら祝う、紅葉舞い落ちる佳き日を》、同《青海波》、同《秋の風》、オーケストラ+琵琶+新箏《時の流れの前奏曲》、葵《ああ源氏》、混声合唱《加持祈祷の僧たちの合唱》、源氏+六条《可愛そうに、なんとお気の毒なことを》、源氏+紫《たとえ地の果てにさすらっても》、オーケストラ+女声合唱《間奏曲:別れて須磨へ》、紫《雨が通り過ぎ》、《琵琶間奏曲》、源氏+明石+新筝+琵琶《二重独白:なんと気高く美しい》、明石《海辺離れる波のように》、源氏最後のアリア《再び陽は昇り》

委嘱初演者◆Opera Theatre of Saint Louis(セントルイス・オペラ劇場)
世界初演(英語)◆2000年、セントルイス・オペラ劇場(Standard version として)
光源氏:Mel Ulrich、桐壺帝&明石入道:Andrew Wentzel、藤壺&紫:Elisabeth Comeaux、六條御息所&明石:Cherl Evans、葵:Jessica Miller、弘微殿&少納言:Josepha Gayer、頭中将:Richard Troxell、朱雀:Carleton Chambers惟光:Elic Jordanほか
指揮:Steuart Bedford、
琵琶(七弦琴持替):シズカ楊静、新箏(21絃):木村玲子
セントルイス交響楽団、OTSL合唱団
演出:Colin Graham, 衣装・装置:朝倉摂、振付:尾上菊紫郎

日本初演(英語)◆2001年、日生劇場(セントルイス・オペラ劇場を招待して英語版で初演)
光源氏:Carleton Chambers, 頭中将:Richard Clement, 朱雀:Graham Fandrei
東京フィルハーモニー交響楽団、合唱:東京オペラシンガーズ以外は世界初演と同じ
(この上演のハイビジョン録画あり、DVD化計画中)
日本語版初演は未定

上演回数◆2次8ステージ(2005年までの)
世界初演評と訳ここ"The Wall Street Journal"をクリックしてください
東京新聞への寄稿◆ここ"源氏物語千年紀"をクリックしてください

作曲者ノート
《じょうるり》の後ずっと、コリン・グレアムは次の共同創作を望んでいたし、セントルイス・オペラ劇場の総監督チャールズ・マッケイも、私にいつでも次の委嘱をしたいと手紙をよこしていた。しかし古代題材は資料の英訳がなく、私のほうの準備が大変で、《静と義経》作曲末期に、やっと次は10世紀《源氏物語》のオペラ化だと意識し始めた。グレアムに私が送ったオペラ内容の骨子は、【1】男女間の人情の機微と恋の駆け引き、【2】運命・輪廻の強調と詠嘆、【3】王朝風の美しさ、【4】筋を直列的に追わず、原作の順序を無視してでも人同士を絡ませる、【5】六条の御息所の生霊(死霊)は全編通して出現し、古代のシャーマニズムが日本社会に続いていることを示す、といったものだったが、グレアムは同意しつつ原作の英訳が多いから「源氏物語」は自分で台本を書くと返事してきた。
 当初は97年初演が目標とされた。しかし、資金を得るための日本の共同制作者が決まらず、もたもたしている間にグレアムが倒れ心臓バイパス手術をする。私は紫式部が書き始めた千年記念になることと、新ミレニアムを迎えることをダブらせて世界初演を2000年にしようと提案した。たまたまその年はOTSL発足25周年の年に当たり提案どうりになった。グレアムの手術は成功し、彼は極めて元気になり、《くさびら》作曲中の95年8月末、シノプシス第2稿が到着。前年の第1稿での討議と反省を経て出演者の絞込みが行われ、すっきりとオペラ的になる。そして台本第1稿は、丁度組オペラ初演当日に届き、年末にはグレアム本人が来日して彼の意図詳細を知る。しかし、並行して日本語版を作る予定もあり、英語の細かい機微を完全に理解するには、源氏物語台本の文学的翻訳(literal translation)がどうしても必要である。この年の初め1ドル79円という円高になり、日本のスポンサーを当てにして、OTSLからの委嘱料を辞退していた私に、充分な対価を支払って専門家に頼む予算などなく、友人の常俊明子さんに当面ボランティアでこの文学的翻訳をお願いした。
 それを待つ間、脱稿した『日本楽器法』の出版作業、オーケストラアジアを活性化させ、楊静に出会って《琵琶協奏曲》を作曲初演するなどの間に、基本的な作風が定まってきた。主役の多い《源氏物語》であるから、私独特のIDセリーを効果的に設定することは作曲に入る前の最重要課題であった。96年1月から《源氏物語》世界初演後の2000年12月までの5年間、出身地の徳島新聞から月一回の音楽随想執筆を頼まれて60篇のエッセイを書いたが、たまたま並行していた大オペラの準備から初演にいたるドキュメントを書いて、同時進行のはらはらするドラマを『オペラ《源氏物語》が出来るまで』という250ページの本にまとめて出版(中央アート出版社)しているので、好奇心のある方は是非読んでいただきたい。あまりにも多いエピソードをここに書ききれない。
 2000年6月、セントルイスでの世界初演は朝倉摂さんの美術・衣装の豪華さとともに、OTSL25周年の白眉となった。これまで決して誉めなかったと米国人が口々に言う気難しい評論家ヘルディ・ウオールソンがウオールストリート・ジャーナルに書いた「とりわけ、中心的演し物であった三木稔作曲《源氏物語》の世界初演は稀にみる成功であった。三木の書いた音楽は雰囲気に満ちた傑作である。西洋音楽の様式であっても、ドビッシーやブリテンがそうであったように、移ろい易いたおやかさが全体に溢れ、古代の詩情ある原典にまことに忠実に添いながら現代作品として完成させている。日本特有の仕草も、彷徨するフルートの曲調の如く、音楽という織物の中に縫い目も見せずに織り込まれ、目障りな色合いを微塵も感じさせない。木村玲子の筝と、楊静の琵琶、といった伝統楽器を使った音楽も絶妙で、特殊な役割を確実に果たしていた」という評は他の部分もリーズナブルで、関係者みんなが共感した。
 01年日生劇場がOTSLを招待して行った英語での日本初演は完売し、鑑賞された方も多い。瀬戸内寂聴さんは「これは大変な心理劇です。私は来なかったら大恥をかくところでした」とおっしゃったくらいだが、信じられないくらい素晴らしいハイヴィジョン録画もある。あとはそのDVDでの発売と,日本語版での日本初演を待つだけだ。




三木 稔