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プロフィール (2010.11.15追補)
Minoru Miki
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三木 稔(みき みのる)プロフィール(1) <概観>

 徳島市生まれ。東京芸大作曲科卒。37年を要して完成したライフワーク、《春琴抄》《あだ》《じょうるり》《ワカヒメ》《静と義経》《隅田川+くさびら》《源氏物語》《愛怨》《幸せのパゴダ》と続き、1600年の日本史各時代と精神に迫る「三木稔 日本史オペラ9連作」、Symphony for Two Worldsを含む《鳳凰三連》、《大地の記憶》など東西を結ぶ管弦楽曲、欧米で数千回演奏されている《マリンバ・スピリチュアル》や《弦楽四重奏曲》《東の弧》などの室内楽曲・独奏曲の多くは海外からの委嘱で作曲され、国際的なレパートリーになっている。《レクイエム》などの合唱曲、《花ものがたり》などの歌曲、《巨火》などの邦楽器作品多数。映画音楽は《愛のコリーダ》がよく知られている。
 一方、日本音楽集団、三木オペラ舎(元 歌座)、結アンサンブル、オーケストラ アジア、オーラJ、アジア アンサンブル、八ヶ岳「北杜国際音楽祭」などを創立、各演奏団体・音楽祭への作曲・芸術監督やプロデュースで、かつてない創造活動を国際的に展開中。
 多数の楽譜・CD出版のほか、著書は「日本楽器法」「オペラ《源氏物語》ができるまで」「三木稔、新箏との道行き35年」。芸術祭大賞、芸術祭賞、ジロー・オペラ賞、徳島県文化賞、紫綬褒章、旭日小授章、よんでん芸術文化賞、
第20回福岡アジア文化賞の芸術・文化賞(日本人で初受賞)、徳島県民栄誉賞(2011年12月没後)などを受賞。四国大学客員教授。詳しくはwww.m-miki.com参照。




Minoru Miki
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三木 稔 ( みき みのる) プロフィール(2) <分野ごと、年代を追って詳しく>

 1930年徳島市生まれ。東京芸術大学卒。在学中、池内友次郎・伊福部昭に師事。
 64年同志と日本音楽集団を創立。20年にわたり音楽監督として現代邦楽をリードするとともに、160回に及ぶ海外公演をプロデュースして日本の楽器の国際化につとめつつ、この集団のために《古代舞曲によるパラフレーズ》《四群のための形象》《凸》《わ》《巨火》《ダンス・コンチェルタントNo.1“四季”〜No.4”北の詩”》《コンチェルト・レクイエム》《松の協奏曲》、引退後も《黄の鐘》《ロータス・ポエム》など多くの作品を残す。70年、初期の10作品を収録した日本コロンビアのレコード・アルバム「日本音楽集団による三木稔の音楽」は芸術祭大賞受賞。69年二十絃筝=現21絃=新箏(にいごと)開発に関わり、《天如》《佐保の曲》《竜田の曲》《東から》《ラプソディ》や《筝譚詩集・第1集〜第4集》のソロ作品、《筝協奏曲1〜5》、《カシオペア21》などの合奏作品を残す。79年、二十絃筝10作品を収録したカメラータ・トウキョウのレコード・アルバム「野坂恵子・三木稔/二十絃箏の世界」は芸術祭優秀賞受賞。81年、ゲヴァントハウス管弦楽団二百周年記念委嘱初演の
《急の曲(Symphony for Two Worlds)》により、邦楽器とオーケストラを結ぶ《鳳凰三連》(序の曲・破の曲・急の曲)を完成。36分を要する《急の曲》はクルト・マズア指揮ニューヨーク・フィルが米初演ほかすでに世界各地で28回上演。

 83、89年には、日中・日韓民族楽器オーケストラ史上初の共演への作品を書き、93年9月、日中韓三国の民族楽器群によるオーケストラ・アジアを旗揚げ、芸術監督と同時に《伝々囀》《夢・楼蘭》《琵琶協奏曲》《SOUL2000》《彩虹序曲》などの作品を残す。そのジャパン・アンサンブルから独立したオーラJの芸術監督を務め、98年以来26回の定期公演を重ねているが、この間、日本音楽集団時代のレパートリーに、《源氏音楽物語》《瀬戸内夜曲》《ホタルの歌》《羽衣》《三味線協奏曲》などの新作を加えた。02年、オーケストラ・アジアを辞し、アジア各楽器のトップソリストのみによるアジア アンサンブルを主宰して創立、《Origin》を最初のレパートリーとし、当初「アジア・シルクロード音楽フェスティバル」とリンク、現在は後述の八ヶ岳「北杜国際音楽祭」の重要演奏団体として活動中。

 75年、最初のオペラ《春琴抄》を作曲、ジロー・オペラ賞受賞。90年サボンリンナ・オペラ祭では30紙全ての高評を得る。79年、イングリッシュ・ミュージック・シアター委嘱のオペラ《あだ An Actor's Revenge》はロンドンで世界初演、81年アメリカ初演(作曲者指揮)、84年日本初演、87年ドイツ初演。85年セントルイス・オペラ劇場(OTSL)委嘱のオペラ《じょうるり》の作曲・初演によって、近世をテーマにしたオペラ三部作が完成。ニューヨーカー誌は「個性と高度な表現力で東西文化を最も成功裡に結びつけた作曲家」と評した。《じょうるり》は88年日生劇場の招待でOTSLが日本初演し、05年日本語版初演。グランド・オペラとして企画された91年岡山シンフォニーホール委嘱《ワカヒメ》(04年英語版完成)、93年鎌倉芸術館委嘱《静と義経》は広範な市民層の支持を獲得。95年、芸団協30周年記念委嘱作品の組オペラ《隅田川/くさびら》は、一転して中小空間で日本中世の典型的悲劇喜劇のオペラ化を成就。99年末、第7作《源氏物語》完成。2000年OTSLが世界初演。ウオールストリートジャーナル紙は「雰囲気をもった傑作」と評す。日生劇場招待でOTSLが01年日本初演。新国立劇場委嘱で8世紀題材の第8作《愛怨》(瀬戸内寂聴台本)が05年7月完成、06年2月世界初演。10年2月〜6月にハイデルベルク劇場でドイツ初演。20近いメディアの作品への強い支持と、8回公演全てのsold outという記録を獲得。2010年6月30日、第9作《幸せのパゴダ》のフルスコア脱稿によって、37年をかけたライフワークの一つ、5世紀から20世紀の日本史各時代とその精神に迫るフルサイズのオペラ9連作が最終的に完成した。

 一方86年、ふじたあさや・友竹正則の協力を得つつ機動性を持った市民的なオペラ・シアターうたよみ座を主宰して設立。最初の演目《うたよみざる》は90年度芸術祭賞を受賞。その直後歌座と改称、《よみがえる》などミュージカル要素を持ったフォークオペラ、《オロチ伝》など小オペラ、《ベロ出しチョンマ》《鶴》など歌楽と称するバラード・オペラ、さらに《のはらうた》など、歌や語りと身体表現を結びつける創造を94年まで活発につづけるが、制作者問題で以後は《うたよみざる》の上演のみを継続(03年までに250回上演)。歌座はその制作者の失態で数千万円の損出を受け、座名も使えず、《うたよみざる》の文化庁公演の権利を東京室内歌劇場に渡し、08年以来既に3度の全国各地への3度のツアーが行われている。フォークオペラ様式は94年名古屋市芸創センター制作の《照手と小栗》でも継承、07年11月徳島での国民文化祭で「歌座」に変えて「三木オペラ舎」の名で初演された《幸せのパゴダ》でフルサイズの4作が出揃った。尚、《幸せのパゴダ》は同じ題材で台本(岩田達宗)が別観点から改められ、「日本史オペラ連作」に加えられるためのセリフの歌化、全器楽のオーケストラ化を行う完全オペラ版が進行中。「反核日本の音楽家たち」の「オペラ・プロジェクト85」をプロデュースした際、作曲初演した反核反戦ミニ・オペラ《花園にて》は極めて異色。

 90年、三木作品のスペシャリストを随時糾合する 結アンサンブル を創立、西洋・アジア・日本の楽器共働の場を《東の弧》《平安音楽絵巻》など室内楽規模で開発、毎年公演活動をしてきている。96年以来、現代中国琵琶の最高峰と称えられるシズカ楊静と協力して協奏曲のほか、《江上流韻》《琵琶譚詩》《時の彩り1〜4》《秘曲愛怨》など新演目を開拓、自らのトークを伴うリサイタルツアーもすでに50回近い。02年5月「楊静&結アンサンブル」は《東の弧》の演奏で第4回大阪國際室内楽フェスタのフォルクロア特別賞を獲得。この組み合わせは2010年まで継続してツアー中。02年7月には、楊静と尺八:坂田誠山、新筝:木村玲子のトリオによる結アンサンブルは香港・バリ島公演(04年同メンバーでハワイ公演)を行った。

 オーケストラ作品は上記《鳳凰三連》のほか、管弦楽のための《春秋の譜》、《舞》、《Pacific Rainbow》、《マリンバ協奏曲》、《Z協奏曲》、《筝協奏曲第1、2、5》、《琵琶協奏曲》など30近いが、近作は、2000年クルト・マズア指揮読響日響とアジアのソリストたちによる《大地の記憶》で、それのみで25分を要するが、仮にも《地球交響曲》が完成することがあれば、その第一楽章となる含みを持たせている。88年牧阿佐美バレエ団委嘱初演の全幕物バレエ《光の国から》から選ばれたバレエ組曲もある。07年国民文化祭グランドフィナーレは、那名子夫人の詩『ふるさとの風』の合唱をコーダとする三木新作《ふるさと交響曲》(ナンバーをつけると第7交響曲)で幕を閉じた。

 室内楽には《弦楽四重奏曲》,《ピアノ三重奏曲》,ヴァイオリンと新筝の《白耀》、チェロと新筝の《結II》=《しおさい》+《森よ》、特に、原曲の尺八と新筝の二重奏のみならず、フルート・オーボエ・バイオリン・チェロなどの旋律楽器と、ピアノやハープとの二重奏として世界中でしばしば演奏されている《秋の曲Autumn Fantasy》に、2008年尺八・新筝の愛すべき《希麗》が加わった。また《筝双重》《カシオペア21》など、邦樂器のみ、あるいは《東の弧》《平安音楽絵巻》のように民族楽器と西洋楽器を交えた多くの重奏曲、新箏(21絃)への上記5大独奏曲と《筝譚詩集第1〜4集》の20曲、尺八《孤響》、三味線《奔手》、琵琶《流琵》(中国琵琶Pipaは上記)、《伽耶琴段調》など各民族楽器の個性を生かした独奏曲がある。新箏(古箏)と琵琶(Pipa)作品は中国でもスタンダードに上演され、人民音楽出版社はそれぞれ190ページ前後の「三木稔(古)箏作品集」「三木稔琵琶作品集」を04年CD付で出版した。同年、日本と中国数箇所で両国のトップ奏者たちによる「日中新箏交流コンサート」をプロデュース。

 《マリンバの時》及び打楽器3人との《マリンバ・スピリチュアル》は欧米の打楽器分野で古典的レパートリーになっており、後者は海外での上演が1万回を超え、CDも3桁。世界の打楽器界での作曲者への信頼度は極めて高く、各国の演奏者やファンから直接の熱いメールが絶えない。マリンバ作品の多くは、音楽の友社やNorsk Musikforlag、Go Fish Musicが出版して、世界に流通している。06年11月PAS(全米打楽器協会)主催の国際コンヴェンションPASICは”New and Unknown Marimba-Percussion Works of Minoru Miki”コンサートで上記2曲(及び協奏曲)以外の三木作品を特集、最後の“Z Conversion”が終わるやいなや間髪をいれず千人の聴衆がスタンディングオヴェイションで作曲者を迎えた。
 最初期の《三つのフェスタル・バラード》《夏の叙事詩》などを含むピアノ作品は全音が03年出版の『三木稔ピアノ曲集』に収録。

 近年全音から出版された『三木稔歌曲集』17曲や小歌曲集『のはらうた』22曲、音楽の友からの歌曲集『花ものがたり』14曲などに含まれる声楽曲も頻繁に演奏されるようになった。全音楽譜はオペラ8連作からのアリアをピアノ伴奏版で「三木稔オペラアリア集」の作業を進め、06年第1集を発売、東京室内歌劇場は07年2月、その21曲を21人の歌手で特別コンサートを行った。
 初期に多く書いた合唱曲は男声・混声の《レクイエム》(カワイ出版)、男声の《合唱による風土記?阿波》(音友)《もぐらの物語》(全音)《喜怒哀楽》《合唱般若心経》、混声の《浄土》(カワイ出版)、《海の精》《光を追って》《つつじの乙女》《望月の駒》など、合唱劇《峠のむかうに何があるか》、御伽草子《タロウ》など劇形式の大作もある。07年5月、浅草混声合唱団は、『花の歌』を加えて完成した《レクイエム》を作曲者指揮で混声版初演。

 映画音楽は76年の《愛のコリーダ》が世界中でよく知られているが、岩波映画などで担当した60年代の《路上》や青銅プロ近作の《古墳と観音の里》などの記録映画、東映教育映画などの教育映画あわせて350本に上る。テレビドラマは、77年にNHK連続テレビドラマ《鳴門秘帖》で、1年間の劇伴を史上初めて全て邦楽器で通したほか、単発のテレビドラマも数多く担当した。演劇の音楽も、秋浜悟史・ふじたあさやたちの「劇団30人会」の文芸部員まで勤めて自らのノウハウを確立したが、これらスタッフとして参加した仕事はほぼ50才頃までで、後は『オペラ』と『アジア』の二大ライフワークに直接関わる創作とプロデュース活動に専念することとなった。

 LP時代の上記受賞アンソロジーのあと、CDでは、カメラータ・トウキョウの『三木稔作品選集』はすでに第7集に達しており、演奏家による三木作品のみのCDは木村玲子が2010にリリースした《三木稔、新筝5大独奏曲集》、山田明美の《箏譚詩集第1集〜第4集》、吉村七重が何枚かに分けて日本と海外で出した三木箏作品、藤川いずみが企画した《三木稔箏作品集》、坂田誠山が様々に出している《三木稔尺八作品集》、野澤徹也の《三木稔三味線作品集》などのアンソロジーをはじめ、三木作品を個々に収録したCDはオーケストラからソロまで、そして主宰する「アジア アンサンブル」の04年に記録CD、など内外合わせ枚挙にいとまがない。
また、オペラではCDで《ワカヒメ》、LDで《じょうるり》、最近のDVD《愛怨》が発売されている。

 作曲に加えて、これまで上記6つの演奏団体を創立してプロデュースしてきた三木は、06年8月、その最後の夢を自ら現前させた。将来の『東西音楽交流の聖地』を目指して毎年晩夏に開催する八ヶ岳「北杜国際音楽祭」である。かつて邦楽器運動で掲げた『解放と参加』から、近年は西欧・アジア・日本の『共生・共楽』を理想として、2008年は8月22〜31日の10日間に、西洋・アジア・日本のトップクラスアーチストによる主催7公演、3参加公演、3日間の「全国現代邦楽合奏団コンヴェンション」を行う。

 91年、徳島県文化賞。94年紫綬褒章、00年旭日小授章を受章。07年よんでん芸術文化賞、09年第20回福岡アジア文化賞の芸術・文化賞(日本人で初受賞)、徳島県民栄誉賞(2011年12月没後)など受賞。著書:「日本楽器法」「オペラ《源氏物語》ができるまで」「新筝との道行き35年」。四国大学客員教授。日本作曲家協議会理事、四国大学客員教授。三木稔ホームページはhttp://www.m-miki.comで詳細な日本文・英文を備えている。

ミニ自伝(PDF)◆

1999年4月8日 狛江自宅にて
三木Photo

Photo by Kuniji Shiraishi


三木 稔